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年度 2024年

設問番号 第1問

テーマ 9世紀前半における政治体制の転換/古代


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問われているのは,9世紀前半における太上天皇の政治的立場の変化。
『日本史の論点』(駿台文庫)でも取り上げてある典型的なトピックであるが,こういうケースこそ,丁寧に対応したい。

資料文のうち,太上天皇について書かれているものは,⑵と⑶である。
これらから太上天皇についての情報を抜き出したい。その際,資料文の内容に即して政治的立場とは何かを考えたい。
資料文⑵ 孝謙太上天皇について
◦しばらくして天皇と対立=「国家の大事」を太上天皇が自らおこなうことを宣言 …a
◦藤原仲麻呂が不満=反乱 …b
 太上天皇が鎮める→乱後に再び天皇となる …c

資料文⑶ 平城太上天皇と嵯峨太上天皇について
◦平城=しばらくして平城京に移り国政への意欲を強める …d
 政治的混乱が発生(平城太上天皇の変) …e
 天皇が収める=太上天皇は自ら出家 …f
◦嵯峨=内裏から離宮に居所を移して隠棲 …g

まず,aとdに共通点をみることができる。
律令制度のもとでは天皇が国政(政務)にあたったことは知っていると思うが(2014年第1問も参照のこと),aとdからは,太上天皇も国政に関与することが可能な立場にあったこと,天皇をさしおいて国政(政務)にあたることが可能な立場にあったことがわかる。
そして,太上天皇が天皇をさしおいて国政に意欲的に関わろうとすると,天皇との間に政治的な対立・混乱が生じたことがbとeからわかる。ただし,これは「太上天皇の政治的立場」そのものについてのデータではない。

ところが,孝謙太上天皇と平城太上天皇のケースでは結末が異なる。
孝謙太上天皇は混乱を抑えた後に再び天皇となった(c)のに対し,平城太上天皇は敗北し,自ら出家した(f)。
先ほどの太上天皇の立場に即して説明を一般化すれば,孝謙太上天皇は天皇を廃して国政(政務)にあたったのに対し,平城太上天皇はみずから国政(政務)に関与しない立場に移った,と表現できる。
そしてgから,嵯峨太上天皇は,平城太上天皇の変後の平城と同じように,みずから国政(政務)に関与しない立場に移ったことがわかる。

ここまでの考察を整理すれば,次のようになる。
以前:国政に関与することが可能な立場にあった

以後:みずから国政に関与しない立場に移った

これで政治的立場の変化は最低限,説明できている。しかし,gの「離宮に居所を移して隠棲」という表現から,嵯峨が立場を公的なものから私的なものへと変化させたことを読み取ることができるので,この公的,私的という表現も解答のなかに含めておくとよい。
さらに,私的な立場となったからといって国政に関与しないとは限らないことは,平安後期から展開する院政を想起すればわかる。そこで,「国政に関与しない」という表現では不十分だと思うならば,「国政に直接関与しない」などと表現すればよいだろう。


問われているのは,9世紀前半における天皇と官人との関係の変化。条件として,奈良時代までとの違いに留意することが求められている。
ここで注意しておきたいのは,官人の変化が問われているのではなく,天皇と官人との関係の変化が問われている点である。もちろん,答案を無理やり「……という関係にあった」などというフォーマットにそろえる必要はないが,天皇と官人の双方にしっかり言及した答案をつくりたい。

さて,設問では「官人」と書かれているものの,資料文には次のような表現が出てくる。
資料文⑴
要職を占める五位以上の官人が特権的な待遇を受ける
資料文⑷
中央や地方の要職に採用する
この点に注目すれば,官人一般ではなく「五位以上の官人」つまり上級官人に焦点を絞って考えればよい,と判断できる。

まず,奈良時代までの天皇と官人との関係について。
資料文⑴
◦要職を占める五位以上の官人
 →多くは,古くから天皇に奉仕してきた畿内の有力氏族

ここから,次の内容が確認できる。
◦上級官人=多くを畿内の有力氏族が占める
◦畿内の有力氏族=古くから天皇に奉仕してきた
つまり,古くから天皇(大王)に奉仕してきたという関係のもと,畿内の有力氏族が上級官人を占めていたことがわかる。
「古くから……してきた」というのは,氏としての系譜意識が天皇と上級官人とをつなぐ関係の基礎にあることを意味しており,さらに,奈良時代には『日本書紀』編纂を通じて天皇統治の起源と朝廷の成り立ちを説明する神話が整えられていたことを念頭におけば,「古くから」とは神話に基礎をおくものと判断することができる。
したがって,奈良時代までの天皇と官人との関係は神話的な(神話に基づく)系譜意識に基礎をおいていたと表現できる。もちらん,神話的と表現せず,伝統的や古くからの,氏としての,といった表現でよい。ポイントは系譜意識である。

次に,9世紀前半について。資料文では⑷と⑸である。
資料文⑷
◦学問を奨励し,優秀な者は家柄によらず中央や地方の要職に採用した
資料文⑸
◦平安宮の諸門の呼び名が中国風に改められた
◦中国唐の儀礼を参考に朝廷の儀礼を整えられた
◦天皇に対する拝礼の作法が,日本の古い習俗を起源とするものから中国風のものに改められた

ここから9世紀前半には,個人の資質・能力を重視する官僚制原理が浸透するとともに,儀礼を含めた唐風化が進展していたことがわかる。
なかでも,官人が天皇に拝礼する作法が「日本の古い習俗を起源とするもの」から中国風へと改められた点に注目したい。そこには,天皇と官人との関係が日本古来の,氏としての系譜意識を基礎とするものではなくなる様子,いいかえれば,天皇と官人を結ぶ紐帯として神話が力を失う様子が示されている。
では,どのような関係に変化するのか。
このことを考える際に念頭におきたいのは,嵯峨天皇の時代以降の貴族社会のあり方である(2021年第1問や『日本史の論点』トピック4・の論点2を参照したい)。9世紀前半は天皇の権力が強化されるなか,天皇との個人的な関係を基礎として少数の皇族・貴族が公卿に取り立てられていた。その一端を示すのが資料文⑷である。
つまり,天皇と(上級)官人との関係は,天皇の個人的な判断(信任)と,官人の個人的な資質・能力(なかでも学問的な能力)とに基づく傾向を強めていった。


(解答例)
A元来,太上天皇は天皇と並び国政に関与する公的な立場にあった。9世紀前半には,国政に直接関与しない私的な立場に変化した。(60字)
B奈良時代までは,畿内の有力氏族が古くからの系譜意識のもとで天皇と結びつき,上級官人の地位を継承する傾向にあった。9世紀前半,唐風化と官僚制原理の浸透が進んだ結果,天皇の個人的な信任のもと,学問に優れた文人貴族らが上級官人として登用された。(120字)
(別解)B奈良時代までは,畿内の有力氏族が古くからの系譜意識のもとで天皇と結びつき,上級官人の地位を継承する傾向にあった。9世紀前半に唐風化とともに神話が紐帯としての力を失い,天皇の個人的な信任のもと,学問に優れた文人貴族らが上級官人に登用された。(120字)