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年度 1991年

設問番号 第3問

テーマ 幕藩体制における中央集権と地方分権/近世


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設問の要求は、藩営専売によっても藩経済の自立が困難な理由。 条件として、幕藩体制下での(a)都市のあり方や(b)商品流通のあり方を視野に入れることが求められている。

まず、藩経済の“何からの自立”が問題になっているかを確認することが必要である。
問題文では“何からの自立”なのかが明記されていないが、幕藩体制下であることを考えれば“幕府の統制”からの自立であることは想像つくだろう。そのことを念頭において条件(a)(b)の内容をチェックしよう。

条件(b)幕藩体制下の商品流通のあり方
大坂・江戸といった中央市場に流入する商品流通のパターンといえば、(1)大名ルートの蔵物の流通、(2)民間商人ルートの納屋物の流通という2パターンがあった。
まずはそれらの流通のあり方を確認しておく。
(1)蔵物の流通
大名の収入源は年貢だが、石高制にもとづいて米納が原則であり、参勤交代や都市消費生活の費用をまかなうには年貢米の換金が不可欠となる。そこで大名は、17世紀後半に河村瑞賢により整備された東西廻り航路を通じて江戸・大坂に年貢米を廻送、蔵屋敷に保管し、蔵元を通じて売却した。
(2)納屋物の流通
17世紀後半以降、小農経営が安定して農業生産が発達するなか、農村部では商品作物の栽培がさかんになり、その結果、さまざまな商品が民間商人の手によって大坂・江戸へと集荷されていく。

この2つのパターンは大坂・江戸という中央市場への商品の移入(流入)のあり方であるが、大坂から江戸への商品の移出、大坂・江戸という中央市場から全国各地への商品の移出のあり方といえば、民間商人ルートの流通に一本化される。

このような形で商品流通をになっていた民間商人が組織していた同業者組合を仲間という。それに対して幕府は、享保期以降になると、価格統制をはかるため、運上・冥加という営業税を納入することを条件にそれらを株仲間として公認して営業の独占を認め、流通統制を担わせていた。いいかえれば、幕府は株仲間を通じて商品流通への統制力を確保していたのである。

次に条件(a)都市のあり方について。
この設問に限定すると、問題となるのは中央市場である大坂・江戸であるが、ともに幕府の直轄都市。

これらのデータをもとに、設問の要求にこたえよう。
その際、考えるべきは専売品=特産物の販売経路である。条件(a)で確認した通り、東西廻り航路を通じて江戸・大坂という中央市場に廻送し、蔵元を通じて売却するというのが大名ルートの商品流通であり、それ以降の販路も、江戸・大坂の民間商人に依存せざるをえなかった。年貢米と同様に、専売品=特産物もこの流通経路で販売されることになる。
ところが、江戸・大坂は幕府の直轄都市であり、江戸・大坂の民間商人は株仲間として幕府の統制下にある。こういう仕組みになっているから、藩経済は幕府の統制から自立が困難なのである。なお、諸藩の財政は参勤交代の財政的負担などにより慢性的に窮乏し、江戸・大坂の豪商からの大名貸をうけて蔵物は担保としておさえられていたため、江戸・大坂の商人から自立するのはなかなか困難であった−権力権力を笠にきて借金をふみたおすことも実際には行われたが−。

もっとも、大坂や江戸という中央市場を介さない地方市場相互間の交易もさかんになり、株仲間の流通統制力−集荷力−が低下していた(そのことが大坂・江戸での物価騰貴となって現象することになる)。そのことも忘れないように。


(解答例)
もともと諸藩は中央市場である大坂・江戸に蔵屋敷を設けて蔵物を換金しており、専売品の販売も同様の販路をとった。ところが、大坂・江戸は幕府の直轄都市であり、問屋商人が幕府から株仲間結成を公認されて営業を独占していた。そのため、専売制度を実施して窮乏した財政を建て直したとしても、藩財政の自立は困難だった。