年度 2008年

設問番号 第1問


 次の(1)〜(6)の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えなさい。

(1) 奈良時代の東国の郡司には,金刺舎人など6世紀の大王宮があった地名を含む姓が見える。これはかつて国造たちが,その子弟を舎人として,大王宮に仕えさせていたことによると考えられる。
(2) 672年,近江朝廷と対立し,吉野で挙兵した大海人皇子は,伊賀・伊勢を経て,美濃に移って東国の兵を集結し,不破の地を押さえて,近江朝廷に勝利した。
(3) 大宰府に配属された防人は,全て東国の諸国から徴発されており,前の時代の国造に率いられた兵力のあり方が残っていたと考えられる。
(4) 律令制では,美濃国不破・伊勢国鈴鹿・越前国愛発にそれぞれ関が置かれ,三関とよばれた。奈良時代には,長屋王の変や天皇の死去など国家の大事が発生すると,使者を三関のある国に派遣し,関を封鎖する固関が行われた。
(5) 聖武天皇の詔には,「額に矢が立つことはあっても,背中に矢が立つことはあるものか」と身辺警護の「東人」が常に語っていたことが見える。古代の天皇の親衛隊は,東国出身者が中心であったらしい。
(6) 764年,反乱を起こした藤原仲麻呂は,平城京から山背・近江を経て,越前に向かおうとしたが,愛発関で阻まれ,近江国高島郡において斬殺された。

設問
A 東国は,古代国家にとって,どのような役割を果たしていたのか。3行以内で述べなさい。
B 律令国家は,内乱にどのように対処しようとしたのか。古代の内乱の傾向を踏まえて,3行以内で述べなさい。


解法のヒント