年度 2009年

設問番号 第2問


豊臣秀吉が戦乱の世をしずめ,全国統一を実現したことにかかわる次の(1)〜(4)の文章を読んで,下記の設問A〜Cに答えなさい。

(1) 1585年,秀吉は九州地方の大名島津氏に,次のような趣旨の文書を送った。「勅命に基づいて書き送る。九州ではいまだに戦乱が続いているのは良くないことである。国や郡の境目争いについては,双方の言い分を聴取して,追って決定する。まず敵も味方も戦いをやめよというのが叡慮である。もしこれに応じなければ,直ちに成敗するであろう。」
(2) 1586年,島津氏は,「関白殿から戦いをやめるように言われたが,境を接する大友氏から攻撃を受けているので,それなりの防戦をせざるを得ない」と回答した。
(3) 1587年,島津氏は秀吉の攻撃を受けたが,まもなく降伏した。一方,中国地方の大名毛利氏は,早くから秀吉に協力した。秀吉は島津氏に薩摩国・大隅国などを,毛利氏に安芸国・備後国・石見国などを,それぞれ領地として与えた。
(4) 1592年に始まる朝鮮出兵では,島津氏も毛利氏も,与えられた領地に応じた軍勢を出すように命じられた。

設問
A 秀吉は,戦乱の原因をどのようにとらえ,その解決のためにどのような方針でのぞんだか。3行以内で述べなさい。
B 秀吉は,自身の命令を正当化するために,どのような地位と論理を用いたか。1行以内で述べなさい。
C 秀吉による全国統一には,鎌倉幕府以来の武士社会における結合の原理に基づく面がある。秀吉はどのようにして諸大名を従えたか。2行以内で述べなさい。


解法のヒント