年度 2010年

設問番号 第3問


次の(1)〜(4)の文章は,17世紀前半の出羽国の院内銀山について記したものである。これらを読んで,下記の設問A・Bに答えなさい。

(1) 1607年に開かれ,秋田藩の直轄となった院内銀山では,開山して数年で,城下町久保田(現在の秋田市)に並ぶ約1万人の人口をもつ鉱山町が山中に形成された。
(2) 鉱山町の住民の出身地をみると,藩に運上を納めて鉱山経営を請け負った山師は,大坂・京都を含む畿内,北陸,中国地方の割合が高く,精錬を行う職人は,石見国など中国地方の出身者が多かった。一方,鉱石の運搬などの単純労働に従事した者は,秋田領内とその近国の割合が高かった。
(3) 鉱山町では,藩が領内の相場より高い価格で独占的に年貢米を販売しており,それによる藩の収入は,山師などが納める運上の額を上回っていた。
(4) 当時,藩が上方〔かみがた〕で年貢米を売り払うためには,輸送に水路と陸路を併用したので,積替えの手間がかかり,費用もかさんだ。

設問
A 鉱山町の住民のうち,山師と精錬を行う職人の出身地にそれぞれ上記のような特徴がみられたのはなぜか。3行以内で述べなさい。
B 秋田藩にとって,鉱山町のような人口の多い都市を領内にもつことはどのような利点があったか。2行以内で述べなさい。


解法のヒント