年度 2012年

設問番号 第2問


院政期から鎌倉時代にかけての仏教の動向にかかわる次の⑴〜⑸の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えなさい。

⑴ 院政期の天皇家は精力的に造寺・造仏を行った。白河天皇による法勝寺をはじめとして,大規模な寺院が次々と建立された。
⑵ 平氏の焼き討ちにより奈良の寺々は大きな打撃をこうむった。勧進上人重源は各地をまわって信仰を勧め,寄付や支援を募り,東大寺の再興を成し遂げた。
⑶ 鎌倉幕府の御家人熊谷直実は,法然が「罪の軽重は関係ない。念仏さえ唱えれば往生できるのだ」と説くのを聞き,「手足を切り,命をも捨てなければ救われないと思っておりましたのに,念仏を唱えるだけで往生できるとはありがたい」と感激して帰依した。
⑷ 1205年,興福寺は法然の教えを禁じるように求める上奏文を朝廷に提出した。このような攻撃の影響で,1207年に法然は土佐国に流され,弟子の親鸞も越後国に流された。
⑸ 1262年,奈良西大寺の叡尊は,北条氏の招きによって鎌倉に下向し,多くの人々に授戒した。彼はまた,京都南郊の宇治橋の修造を発願し,1286年に完成させた。

設問
A ⑴と⑵では,寺院の造営の方法に,理念のうえで大きな相違がある。それはどのようなものか。2行以内で述べなさい。
B 鎌倉時代におこった法然や親鸞の教えは,どのような特徴をもっていたか,また,それに対応して旧仏教側はどのような活動を展開したか。4行以内で述べなさい。


解法のヒント