年度 2019年

設問番号 第2問


次の⑴~⑶の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えなさい。

⑴ 1235年,隠岐に流されていた後鳥羽上皇の帰京を望む声が朝廷で高まったことをうけ,当時の朝廷を主導していた九条道家は鎌倉幕府に後鳥羽上皇の帰京を提案したが,幕府は拒否した。
⑵ 後嵯峨上皇は,後深草上皇と亀山天皇のどちらが次に院政を行うか決めなかった。そのため,後嵯峨上皇の没後,天皇家は持明院統と大覚寺統に分かれた。
⑶ 持明院統と大覚寺統からはしばしば鎌倉に使者が派遣され,その様子は「競馬のごとし」と言われた。

設問
A 後鳥羽上皇が隠岐に流される原因となった事件について,その事件がその後の朝廷と幕府の関係に与えた影響にもふれつつ,2行以内で説明しなさい。
B 持明院統と大覚寺統の双方から鎌倉に使者が派遣されたのはなぜか。次の系図を参考に,朝廷の側の事情,およびAの事件以後の朝廷と幕府の関係に留意して,3行以内で述べなさい。

系図


解法のヒント