年度 2020年

設問番号 第1問


次の⑴~⑸の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えなさい。

⑴ 『千字文』は6世紀前半に,初学の教科書として,書聖と称された王羲之〔おうぎし〕の筆跡を集め,千字の漢字を四字句に綴ったものと言われる。習字の手本としても利用され,『古事記』によれば,百済から『論語』とともに倭国に伝えられたという。
⑵ 唐の皇帝太宗は,王羲之の書を好み,模本(複製)をたくさん作らせた。遣唐使はそれらを下賜され,持ち帰ったと推測される。
⑶ 大宝令では,中央に大学,地方に国学が置かれ,『論語』が共通の教科書とされていた。大学寮には書博士が置かれ,書学生もいた。長屋王家にも「書法模人」という書の手本を模写する人が存在したらしい。天平年間には国家事業としての写経所が設立され,多くの写経生が仏典の書写に従事していた。
⑷ 律令国家は6年に1回,戸籍を国府で3通作成した。また地方から貢納される調は,郡家で郡司らが計帳などと照合し,貢進者・品名・量などを墨書した木簡がくくり付けられて,都に送られた。
⑸ 756年に聖武天皇の遺愛の品を東大寺大仏に奉献した宝物目録には,王義之の真筆や手本があったと記されている。光明皇后が王羲之の書を模写したという「楽毅論〔がっきろん〕」も正倉院に伝来している。平安時代の初めに留学した空海・橘逸勢も唐代の書を通して王羲之の書法を学んだという。

設問
A 中央の都城や地方の官衙から出土する8世紀の木簡には,『千字文』や『論語』の文章の一部が多くみられる。その理由を2行以内で述べなさい。
B 中国大陸から毛筆による書が日本列島に伝えられ,定着していく。その過程において,唐を中心とした東アジアの中で,律令国家や天皇家が果たした役割を4行以内で具体的に述べなさい。


解法のヒント