年度 2023年

設問番号 第1問


古代の宮都などの大規模造営では,建築工事の現場だけでなく,山林での材木の伐り出し,瓦の製作,それらの輸送(陸運・水運)など,資材調達の作業にも多くの労働力が必要であった。国家的造営工事に関する次の⑴〜⑷の文章を読んで,下記の設問に答えよ。解答は,解答用紙(イ)の欄に記入せよ。

⑴ 律令制のもとでは,仕丁〔しちょう〕と雇夫〔こふ〕が国家的造営工事に動員された。仕丁は,全国から50戸ごとに成年男子2名が徴発され,都に出仕し役務に従事した。雇夫は官司に雇用された人夫で,諸国から納められた庸が雇用の財源となった。

⑵ 奈良時代に朝廷が行った石山寺の造営工事では,仕丁・雇夫らが従事した作業の内容が記録に残されている。また,恭仁京・長岡京・平安京の造営など,大規模な工事を実施する際には,労働力不足への対処として,畿内周辺の諸国に多数の雇夫を集めることが命じられた。

⑶ 960年9月,平安京の内裏が火災ではじめて焼失した。その再建は,修理職〔しゅりしき〕や木工寮〔もくりょう〕といった中央官司だけでなく,美濃・周防・山城など27カ国の受領に建物ごとの工事を割り当てて行われた。こうした方式はこの後の定例となった。

⑷ 1068年に即位した後三条天皇は,10年前に焼失した内裏をはじめ,平安宮全体の復興工事を進めた。これを契機に,造営費用をまかなうための臨時雑役を,国衙領〔こくがりょう〕だけでなく荘園にも一律に賦課する一国平均役〔いっこくへいきんやく〕の制度が確立した。

設問
国家的造営工事のあり方は,国家財政とそれを支える地方支配との関係を反映して変化した。その変化について,律令制期,摂関期,院政期の違いにふれながら,6行以内で説明せよ。


解法のヒント