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仏教が日本列島に伝来すると,日本の神祇信仰はさまざまな影響を受け,やがて神仏習合と呼ばれる現象があらわれるようになる。奈良・平安時代における神仏習合の展開過程について具体的に述べなさい(200字程度)。

<解法の手がかり>

問われているのは,奈良・平安時代における神仏習合の展開過程。
展開過程が問われているので,時期区分しながら推移・変化を説明したい。

神仏習合が始まるのは奈良時代。律令政府が仏教を国家的に興隆するなか,中国で起こっていた神仏習合思想の影響によって神仏習合が進んだ。
具体的な現象としては,
神社に神宮寺を建立する
:これは,神々が仏教による救済を求めているとする考え方に基づく
神々を寺院に鎮守神として祀る
:これは,神々を仏教を守る存在(護法善神)とみなす考え方に基づく

平安時代前期には,僧形八幡神像のような神々を彫刻として造形する動きが登場する。仏像彫刻にならったものなので,これも神仏習合の具体例である。
密教と山岳信仰が融合することで修験道が成立したことを指摘してもよい。

平安時代後期(中期とされることもある)には,本地垂迹説が登場する。神と仏を同体と考えたうえで,神々は仏が仮に姿を変えて現われたもの(権現)とする考えである。伊勢神宮(内宮)の天照大神は大日如来,熊野神社(本宮)の神は阿弥陀如来がそれぞれ姿を変えたものとされた。


<解答例>
奈良時代,仏教が国家的に興隆されるなか,中国で起こっていた神仏習合思想の影響をうけ,日本の神々が仏教による救済を求めているという考えや神々は仏教を守る護法善神であるとする考えが広まり,神社に神宮寺を建て神前で読経を行ったり寺院に神々を鎮守神として祀ったりされた。平安時代には仏像彫刻にならって薬師寺僧形八幡神像など神像彫刻が制作され,院政期には神は仏が仮に姿を変えて現れたものとする本地垂迹説が発達した。(202字)
(別解)律令政府が仏教を国家的に興隆するとともに神祇官のもとで各地の神々への信仰の統合をはかるなか,中国の影響を受けて神仏習合の風習が広まった。奈良時代には,神社に神宮寺を建て神前で読経を行ったり寺院に神々を鎮守神として祀ったりしはじめた。平安時代には,仏像彫刻にならって薬師寺僧形八幡神像など神像彫刻が制作されるとともに,密教と山岳信仰が結びついて修験道が成立した。院政期には神は仏が仮に姿を変えて現れたものとする本地垂迹説が発達し,神々への信仰が仏教によって体系化されはじめた。(237字)