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1890年に帝国議会が開設されて以後長い間,地租問題は政界の争点であり続けた。初期議会から第2次山県有朋内閣までの地租問題の展開について,藩閥政府と政党との関係に留意しつつ具体的に述べなさい(200字程度)。


<解法の手がかり>

問われているのは,初期議会から第2次山県有朋内閣までの地租問題の展開。条件として,藩閥政府と政党との関係に留意することが求められている。

大きく3つに時期区分しながら構成したい。
初期議会
◦民党(自由党・立憲改進党)=政費節減・民力休養を掲げる→藩閥政府に地租の軽減を要求

◦第2次伊藤内閣のもとで妥協成立

日清戦争後
◦第3次伊藤内閣=地租増徴を計画 目的:日清戦後経営の財源確保

◦自由党と進歩党が反対=合同して憲政党を結成
→最初の政党内閣である第1次大隈内閣が成立(すぐに総辞職)

第2次山県内閣のとき
◦旧自由党系の憲政党の支持のもとで地租増徴を実現


<解答例>
初期議会では自由党・改進党が民党として連合し,藩閥政府に対して地租の軽減を求めたが,第2次伊藤内閣のもと,和衷協同の詔書で妥協した。日清戦争後,藩閥政府が財源確保のため地租増徴を企図すると,反発する自由党・進歩党が合同して憲政党を結成した。この結果,藩閥政府が倒れ,初めて政党内閣が成立したがすぐに総辞職した。代わって成立した藩閥主導の第2次山県内閣は旧自由党系の憲政党と提携し,地租増徴を実現させた。(201字)