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江戸幕府は,寛永期には銭座で寛永通宝を大量に鋳造して広く供給した。その理由・背景について,戦国時代から江戸時代初期の銭貨の使用状況をふまえながら,具体的に述べなさい(200字程度)。


問われているのは,江戸幕府が寛永期に寛永通宝を大量に鋳造して広く供給した理由・背景。条件として,戦国時代から江戸時代初期の銭貨の使用状況をふまえることが求められている。

次の対比をはっきり意識しておきたい。
◦戦国時代から江戸時代初期=独自の銭貨を鋳造しない→中国銭や私鋳銭が流通
◦寛永期=独自の銭貨として寛永通宝を鋳造(→中国銭や私鋳銭の流通を停止)
この対比を前提として「理由・背景」を考えたい。その際,寛永期になって幕府が独自の銭貨を鋳造した(鋳造できるようになった)のはなぜか,その背景を考え,そのうえで,幕府が銭貨を大量に広く供給した目的・意図を考えることができればよい。

まず,寛永期になって幕府が独自の銭貨を鋳造した(鋳造できるようになった)背景について。
江戸初期(家康・秀忠期)には独自の銭貨を鋳造していなかったわけなので,初期(家康・秀忠期)と寛永期(家光期)の違いに焦点を絞ってみたい。
寛永期(家光期)は,政治面では参勤交代が制度化され,幕府の政治機構が整い始めた時期で,対外面ではいわゆる鎖国制が整った時期である。つまり,江戸幕府の支配体制,幕藩体制が整った時期と言える。このことを念頭におけば,初期(家康・秀忠期)は幕府が全国を統一し,支配下においてはいたものの,まだ安定を確保できていない段階だととらえることができる。
戦国時代は各地に戦国大名が割拠した時期なのでともかく,豊臣政権期にしても全国統一を実現したとはいえ,(引き続き朝鮮出兵を行っており)国内の支配体制が安定した時期ではなかった。
つまり,
戦国時代から江戸時代初期=政治体制が安定していない(十分ではない)

寛永期=幕藩体制が確立(たとえば参勤交代の制度化)
つまり,幕藩体制が確立する,言い換えれば,幕府の全国支配が整うという状況が独自の銭貨の鋳造を行うことができるようになった背景だと理解することができる。

次に,幕府が銭貨を大量に広く供給した目的・意図について。
参勤交代が制度化されたことで街道の宿駅では往来する武士たちによる消費支出が行われることを想起することができれば,街道筋での銭貨の使用をスムースにする必要があったことに気づくが,高校教科書を超えた知識であり,考える素材として資料(史料など)が提示されないと難しい。したがって,答案のなかでこちらに触れられなくても問題ない。

なお,別解は,織豊政権期から江戸初期,民間社会において銭貨の使用がビタ銭に収斂しつつあったことを念頭においた解答例。このビタ銭と同じ価値の銭貨として,幕府のもとで寛永通宝が鋳造・発行された。


<解答例>
戦国時代は各地に戦国大名が割拠し,全国統一を実現した豊臣政権や成立当初の江戸幕府も政治体制の安定が十分ではなく,いずれの政権も独自の銭貨を鋳造しなかった。そのため,宋銭・明銭,国内外で模造された私鋳銭など良悪さまざまな銭貨が使用されていた。ところが寛永期には,江戸幕府の大名統制が強化され,参勤交代が制度化されるなど幕藩体制の確立が進んだ。そのため,江戸幕府は寛永通宝を大量に鋳造して広く供給した。(199字)
(別解)戦国時代には宋銭・明銭や国内外で模造された私鋳銭など良悪さまざまな銭貨が使用され,撰銭が横行していたが,織豊政権期から江戸時代初期にかけて,銭貨の使用はほどほど質の悪いビタ銭に収斂しつつあった。そうしたなか,武断政治が展開して江戸幕府の大名統制が強化され,寛永期に参勤交代が制度化されるなど幕藩体制の確立が進むと,参勤交代にともなう街道筋での円滑な銭貨の使用を保障するため,幕府は寛永通宝を大量に鋳造して広く供給した。(209字)