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年度 2007年

設問番号 第2問


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【解答例】
1大阪紡績会社。綿紡績業は1880年代後半以降,機械制大工業が普及し,資本主義成立の基礎となり,工業中心の産業構造への転換の端緒を形作った。さらに,輸入綿糸を国内市場から排除することに成功したうえ,輸出産業へと成長した。機械類は欧米から輸入したものの,原料綿花はインドから輸入し,綿糸を中国へ輸出しており,欧米に従属しつつもアジア諸地域に対しては先進国型の貿易構造への転換を促した。
2企業勃興。第一国立銀行。政商・華族・地主。政商は藩閥政府の保護のもとで得た収益を元手に,華族は多額の金禄公債証書を原資として出資していた。さらに,寄生地主制の成立にともない,小作料収入をもとに投資する地主が増加した。
31890年恐慌。過剰な投資ブームから金融機関の資金不足が生じ,綿業貿易の赤字累積とあいまって企業の業績悪化につながったうえ,それに触発された投資家の,短期的な収益に目を奪われた投機的行動が株価暴落を招いた。
(総計400字)
【解答例】
設問文が難解である。一橋大の問題は出題者の意図をくみ取りにくいことがしばしばあるが,この問題はその典型的な一例だと言える。

問1
問われているのは2つ。1つは,渋沢栄一が関係した紡績会社の名称を答えることで,もう1つは,綿紡績業が(1)産業構造と(2)貿易構造にもたらした革命的意義を説明することである。
1つ目は平易だが,2つ目が難しい。
「紡績業が産業構造と貿易構造にもたらした革命的意義−いわゆる産業革命−」と表現されているのだが,綿紡績業における「産業革命」の内容を羅列的に説明すればよいかと言えば,そうではない。綿紡績業が「もたらした革命的意義」と表現されているのだから,「産業構造と貿易構造」は綿紡績業にとってはいわば外的なもの,もしくは綿紡績業を含めた経済総体にかかわることがらである。
ということは,資料文を前提として「紡績業」を「1880年代以降における綿紡績業の発展」と読み替えたうえで,その前後において(1)産業構造,(2)貿易構造がどのように変化したのかを考えることが必要となってくる。
まず(1)産業構造(その国の経済総体における各産業の比重や構成)から。
これは難しい。綿紡績業の発展によって各産業の比重や構成が変化したという話は高校教科書には記述されていない。経済総体に与えた影響についても,山川『詳説日本史』で
「日清戦争後には鉄道や紡績などでふたたび企業勃興が生じ,その結果,繊維産業を中心として,資本主義が本格的に成立するにいたった。」(p.276)
と説明されている程度である。確かに綿紡績業での機械制大工業の普及は資本主義成立の契機となったと言えるにしても,「資本主義」とは経済体制(もしくは生産様式)に関する概念であり(「工場や機械・原材料などの生産手段を所有する資本家が,利潤獲得を目的に賃金労働者を雇用しておこなう商品生産が基軸をなす経済体制をいう」山川『詳説日本史』p.276),産業構造に与えた意義の説明としてはズレている。となれば,機械制大工業の普及が進むなかで第一次世界大戦期に工業国へと変化していくという歴史的経緯を念頭に,工業国化への原動力・端緒とでも表現しておくしかない。つまり,繊維産業を中心とする資本主義経済体制成立の基礎となり,工業国化への端緒を形作った,というあたりである。

次に(2)貿易構造について。
具体的な品目についての「変化」は次の通り。
明治前期 輸入=綿糸・綿織物  輸出=生糸・茶
明治後期 輸入=綿花・機械類  輸出=生糸・綿糸
綿糸と綿花・機械類の動向が綿紡績業の発展の影響なので,これを基礎に考えればよいが,単に品目を説明しただけでは構造そのものの説明としては不足だろう。そこで,取引き先のデータを追加して考えたい。
明治前期 輸入=欧米やインドから綿糸・綿織物  輸出=欧米に生糸・茶
明治後期 輸入=インドから綿花,欧米から機械類 輸出=欧米に生糸,中国に綿糸
これを一般的な表現に置き換えると,
明治前期=欧米を相手に工業製品(半製品や完成製品)を輸入して工業製品(半製品)や一次産品を輸出する
明治後期=欧米を相手に重工業製品を輸入して半製品を輸出するが,アジア諸地域を相手に原料を輸入して工業製品(繊維関係の半製品)を輸出する
と表現できる。つまり,明治前期は発展途上国型の貿易構造であったが,綿紡績業の発展にともない,欧米に対して従属しつつアジア諸地域に対しては先進国型の貿易構造へと変化している。

問2
問われているのは3つ。
1つ目が,1880年代の「工業の勃興」は何と呼ばれるか。企業勃興という答えで問題ないのだろうが,戸惑ってしまう出題である。
2つ目が,日本最初の「株式会社」といわれる,渋沢栄一によって設立された金融機関の名称。渋沢栄一と金融機関というヒントで第一国立銀行の名称は出てくるだろう。
3つ目が,明治期に「株式」所有者となり,会社を設立し,資金を投下した主な社会階層3つと,その役割。
この設問は文章が難解である。
「その役割」として何を説明すればよいのかが,まず曖昧である。「その」の指示対象は「明治期に「株式」所有者となり,会社を設立し,資金を投下した主な社会階層」と判断してよいから,彼らの「役割」を説明することが求められていると解釈できるのだが,設問のなかで「「株式」所有者となり,会社を設立し,資金を投下した」と書かれていて,それ以外にどのような「役割」を書くのか? どのような資金を資本へと転化させたのか,つまり,資本形成において果たした役割を答えるのか,それとも,1880年代以降の「工業の勃興」の過程における歴史的な経緯を説明することが求められているのか。とりあえず,後者を具体的に説明することは難しいので,前者が問われているものと考えておく。
さらに,設問では「それをふまえ」と表現してあるが,この「それ」の指示対象は何なのか? 直前に書いてある2つ目の設問の要求,つまり「日本最初の「株式会社」といわれる,渋沢栄一によって設立された金融機関」なのか? だとすれば,第一国立銀行の何をふまえるのだろうか? 第一国立銀行が「日本最初の「株式会社」といわれる」点に注目し,第一国立銀行の「株式」所有者となり,資金を投下した人びとを具体的に想起したうえで,それをふまえるのだろうか? 第一国立銀行が三井と小野の資金によって設立されたことまで,受験生に対して知識として求めているのか?(知らなくとも,資本家層の出自の1つとして政商をあげるのは難しくないが)

さて,問われている社会階層は(1)政商,(2)華族,(3)地主,の3つである。
このうち,企業勃興の初期において資本家として登場するのが,政商と華族である。たとえば,第一国立銀行は三井と小野の共同出資であり,第十五国立銀行や日本鉄道会社は華族の共同出資,大阪紡績会社は華族や政商らの出資によって設立されている。政商は,江戸時代以来の,もしくは幕末・維新期以来の商業活動のなかで得た収益を元手に資本家へ成長し,華族は秩禄処分にともなって支給された多額の金禄公債を原資として出資していた。そして,次第に寄生地主制が成立するのにともない,小作料収入を株式に投資したり,それを元手に企業を設立したりする地主が増加する(たとえば倉敷紡績の大原孝四郎など)。

問3
問われているのは,1つ目が,下線部(3)の工業社会の「惨状」とは具体的に何か,そして2つ目が,資料文中の3点が「惨状」の「主因」である理由。日本史というよりも,政経のような出題である。
1つ目は,資料文のなかで「昨年までは甚だ盛況を装ひたる工業社会が,今年の春より今日まで大なる困難を感じ,(3)実際惨状に陥りたる」と説明されている点を手がかりとすれば,恐慌(1890年恐慌)であることがわかる。
次に2つ目について。
○「会社勘定に困りたること」
「勘定」から「代金の支払い」を想起できれば,企業の資金調達が困難となっている状態が説明されていることがわかる。
ただ,その背景が判断できるか,どうか。山川『詳説日本史』では「ブームは株式への払込みが集中し,金融機関の資金が不足して,前年の凶作と生糸輸出の半減も加わって挫折した(1890年恐慌)」(p.276)と説明してあるものの,難しかったのではないか。もちろん,過剰生産から綿糸価格が下落したことで企業収益が低下したことを説明してもよいだろう。収益低下が説明できれば「勘定に困る」という事態の背景は説明できたと言えるのだから。
○「輸出品少なくして輸入品の多かりしこと」
先の『詳説日本史』には「生糸輸出の半減」についての指摘があるが,これは細かすぎる。この資料で問題とされているのが「工業社会」であって綿紡績業界ではないのだが,綿紡績業の発達が綿花や機械類の輸入増加を招いたこと,綿糸の販売がまずは国内市場向けであったことの2点から貿易赤字の累積につながっていたことが指摘できればよい。
○「株主が会社の利益を外にして株式の利益に熱中すること」
ここは時事的な側面も持っているのかもしれない。投資家が短期的な収益にのみ目を奪われ,投機的な行動に走るため,企業の(短期的な)業績悪化が株価の下落(暴落)につながってしまった。知識はなくとも,資料文の要約で対応できる。