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年度 2007年

設問番号 第3問


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【解答例】
1サンフランシスコ講和条約で日本の賠償支払いが規定されたものの,多くの国が賠償請求権を放棄した。中国は会議に招かれなかったが,個別に日華平和条約が結ばれ,台湾政府が賠償請求権を放棄した。のち中華人民共和国とも日中共同声明で賠償請求の放棄が合意された。
2日本政府はポツダム宣言受諾により朝鮮の将来的な独立を認め,さらにサンフランシスコ講和条約で朝鮮の独立を承認した。朝鮮では冷戦を背景として韓国・北朝鮮の2つの政府が分立しており,佐藤内閣のもとで韓国と日韓基本条約を結んで朝鮮にある唯一合法的な政府と認め,北朝鮮とは国交の正常化をみていない。
3財閥解体は経済の自由競争を保障することをねらいとし,株式所有を通じた企業の同族支配は一掃されたものの,独占の解体は不徹底に終わった。農地改革は寄生地主制を解体することをねらいとし,自作農の広範な創出に成功したが,農家の零細経営問題は未解決のまま残された。
(総計400字)
【解法の手がかり】
問1
問われているのは,日中間で賠償問題がどのように処理されたか。条件として,サンフランシスコ講和条約にも言及することが求められている。
設問ではポツダム宣言で賠償問題がどのように規定されていたのかを説明しているのだから,サンフランシスコ講和条約についても最低限,賠償問題がどのように規定されたかを説明しておきたい。
三省堂『日本史B』や実教『日本史B』では説明はないが,山川『詳説日本史』は脚注で次のように説明している。
「サンフランシスコ平和条約は,日本が交戦国の戦争被害に対しておもに役務の供与により賠償を支払う義務を定めたが,冷戦激化の情勢に応じて,アメリカをはじめ多くの交戦国が賠償請求権を放棄した。」(p.360)
そのうえで,中国について事実を整理したい。
まず賠償の支払義務を定めたサンフランシスコ講和条約についてだが,この締結の場には中華人民共和国も台湾の中華民国もともに招請されていない。
ところが,サンフランシスコ講和条約発効の年,アメリカの要請のもと,台湾政府との間で日華平和条約を結び,中華人民共和国とは1972年に日中共同声明が結ばれるまで戦争状態が続いた(日中共同声明とともに日華平和条約は廃棄されるが)。この国交正常化問題は基本的な知識だと言えるが,では,中国との間で賠償問題がどのように処理されたのか,については,三省堂『日本史B』,実教『日本史B』,山川『詳説日本史』ともに記述がない。ただし,山川『詳説日本史』では,日中共同声明の史料を賠償問題に言及した部分まで掲載している(p.377)。
日華平和条約,日中共同声明ともに賠償請求権を放棄しているが,このデータは非常に細かかったと言える。

問2
問われているのは,敗戦後において,日本と朝鮮との間の国交正常化問題がどのような経過をたどることになったか。条件として,日本政府による朝鮮の独立承認問題を起点とすることが求められている。
対象時期は「敗戦後」とされているが,果たしてポツダム宣言受諾は含まれるのか,やや曖昧である。しかし,「日本政府による朝鮮の独立承認問題」を起点とするという条件を念頭におくと,細かいかもしれないが,ポツダム宣言受諾から論じたいところである。
○ポツダム宣言
第8項で「「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク」との規定が含まれている。カイロ宣言では対日領土方針が表明されており,そのなかで朝鮮の将来的な独立が言明されていた。
○冷戦の進展を背景として朝鮮半島に韓国・北朝鮮の2つの政府が分立
○サンフランシスコ講和条約
朝鮮の独立を承認することを規定している。少なくともここから説明を始めることが必要である。
○日韓基本条約
この条約締結に至るまでの日韓会談(とその難航)について説明するかどうかは字数との相談である。
この条約で韓国との国交が正常化し,韓国を「朝鮮にある唯一の合法的な政府」と規定したものの,韓国は北緯38度以南を実効支配するにすぎず,日本政府もその事実を確認したにすぎないととの解釈をとっていた(韓国側の解釈とのズレ)。
○北朝鮮との国交正常化問題
小泉内閣のもとで着手されたものの,拉致問題などから交渉が難航し,未だに実現していない。

問3
問われているのは,GHQが日本軍国主義の経済的基盤の解体を目的として推進した(させた)経済政策2つについて,そのねらいと帰結を説明すること。
財閥解体と農地改革を説明すればよいことはすぐに判断できる。ねらいと帰結さえ説明すればよいので字数をさほど要さないとも言えるが,受験生としてはここを丁寧に説明し,字数を稼いでおくのがよい。
○財閥解体
「財閥」とは何かを説明したうえで(「財閥は,さまざまな産業部門の独占的な企業を,持株会社を頂点とするコンツェルン形態のもとで同族支配していた」など),その解体をはかったことを表現しておけば,「ねらい」は具体的に説明できる。
「帰結」については,2点ふれておきたい。1つは,財閥そのものは解体されたことである。すなわち,持株会社は解体,そして禁止され,持株会社や財閥家族が所有していた株式は一般に売却され,株式所有を通じた企業支配は一掃された。しかし,冷戦が進展するなかで財閥解体策は後退し,不徹底に終わった。これが2点目である。財閥解体の一環として過度経済力集中排除法が制定されたものの,財閥系銀行は解体の対象から除外され,さらに解体を指定された企業についても,そのほとんどは解体を免れる結果となっている。
○農地改革
「寄生地主制」の解体がねらいであることは言うまでもないが,「寄生地主制」についても簡潔に説明したうえで,その解体をねらったことを表現しておきたい。そして,自作農が広範に創出されたこと,もしくは農家の大半が自作農となったことが帰結として書ければよい。もちろん,農家の零細経営問題は未解決のまま残されたことに言及してもよい。