年度 2023年
設問番号 第2問
【解答例】
1明六社。
2征韓論政変で参議を辞職した板垣退助・江藤新平らが愛国公党を結成して民撰議院設立建白書を提出し,それが「日新真事誌」に掲載されると,自由民権運動が始まった。佐賀の乱をきっかけとして愛国公党は自然消滅したものの,各地で立志社など政社が組織され,それらの全国的な連合組織として愛国社が設立された。さらに新聞・雑誌では建白書への賛否をめぐって活発な議論がくり広げられ,政府批判も高まっていた。こうしたなかで政府に批判的な言論を規制するため,政府は新聞紙条例を制定した。
3日露戦争が始まる以前,「万朝報」は非戦論の主張も掲載していた。やがて「万朝報」は主戦論に転じ,日露戦争が始まると政府を擁護した。それに対して幸徳秋水や堺利彦は「万朝報」を退社し,平民社を設立して「平民新聞」を発行し,社会主義の立場から非戦論を説き,政府を批判した。
4政府は内閣情報局を設置し,マスメディアを戦争遂行に利用した。
(総計400字)
【解法の手がかり】
問1
説明不要だろう。
問2
問われているのは新聞紙条例が制定された背景。
新聞紙条例が制定されたのは,民撰議院設立建白書が提出されて自由民権運動が始まり,立志社など各地で結成された政社の全国的な連合組織である愛国社が結成された頃。民撰議院設立建白書が「日新真事誌」に掲載されて以降,新聞や雑誌では建白への賛否をめぐって活発な論争が展開していた。たとえば大井憲太郎と加藤弘之。
こうした動きに対し,政府は大阪会議を経て漸次立憲政体樹立の詔を発し,漸進的に立憲体制を導入する方針を示すとともに,新聞紙条例などを定めて新聞・雑誌に対する規制を強めた。
問3
「日露戦争において,当時の……」との設定なので,日露戦争が始まって以降の時期に絞り,政府を擁護した新聞,政府を批判した新聞をとりあげればよい。
戦争に突入した政府を批判する立場は非戦論。その立場の新聞は,社会主義者の幸徳秋水・堺利彦らが設立した平民社の「平民新聞」。
開戦以降は,どの新聞も政府擁護=戦争支持と考えてよいので,知っている新聞を書けばよい。幸徳秋水らが以前,記者を務めていた「万朝報」が書きやすいだろう。
なお,山川『詳説日本史B』では,「『万朝報』の黒岩涙香や『国民新聞』の徳富蘇峰が主戦論を盛り上げた」と説明されているが,万朝報が主戦論に転じたのは1903年以降,そして国民新聞も同時期に主戦論に転じ,戦争やむなしの主張を展開して政府を擁護する。ところが,いずれも1903年以前は非戦論,戦争回避の立場にたっていた(『国民新聞』は政府の立場にたち外交交渉による解決を説き,戦争回避を希望していた)。
ちなみに,1903年に東大七博士意見書を掲載したのが「東京朝日新聞」。これが主戦論の早い事例。そのあとに徐々に主戦論を強めていくのが,この「東京朝日新聞」や「時事新報」。そしてロシアが第3次撤兵期限を守らなかった10月以降,非戦論の主張も掲載していた「万朝報」や「二六新報」が主戦論に転じた。政府系の「国民新聞」「東京日日新聞」は外交交渉による解決を説き,戦争回避を希望していたが,第3次撤兵問題以降,戦争やむなしという主張に変化する。
問4
政府が新聞・雑誌などマスメディアとどのような関係をもったかについて,戦時体制との関わりから説明することが求められている。
山川『詳説日本史B』では「1940(昭和15)年には内閣情報局を設置して,出版物・演劇などのほか,ラジオ・映画を含むマス=メディアの総合的な統制をめざし,戦争遂行のためにこれらを利用する方針をとった。」とある。これを説明すればよいのだが,難しい。最低限,政府は戦時体制を整えるなかでマスメディアを統制したと書いておけばよい。