年度 2004年
設問番号 第3問
次の文章は,1969年11月に出された佐藤内閣総理大臣とニクソンアメリカ大統領との間でなされた共同声明の一部である。これを読んで,下記の問いに答えよ。(問1から問4まですべてで400字以内)
(1)〜(5)まで略
(6) 総理大臣は,日米友好関係の基礎に立って沖縄の施政権を日本に返還し,沖縄を正常な姿に復するようにとの日本本土及び沖縄の日本国民の強い願望にこたえるべき時期が到来したとの見解を説いた。大統領は,総理大臣の見解に対する理解を示した。総理大臣と大統領は,また,(1)現在のような極東情勢の下において,沖縄にある米軍が重要な役割を果たしていることを認めた。討議の結果,両者は,日米両国共通の安全保障上の利益は,沖縄の施政権を日本に返還するための取決めにおいて満たしうることに意見が一致した。よって,両者は,日本を含む極東の安全をそこなうことなく沖縄の日本への早期復帰を達成するための具体的な取決めに関し,両国政府が直ちに協議に入ることに合意した。(以下略)
(7) 総理大臣と大統領は,施政権返還にあたっては,日米安保条約及びこれに関連する諸取決めが変更なしに沖縄に適用されることに意見の一致をみた。(以下略)
(8) 総理大臣は,(2)核兵器に対する日本国民の特殊な感情及びこれを背景とする日本政府の政策について詳細に説明した。これに対し,大統領は,深い理解を示し,日米安保条約の事前協議制度に関する米国政府の立場を害することなく,沖縄の返還を,右の日本政府の政策に背馳しないよう実施する旨を総理大臣に確約した。
(9)以下,略。
問1 この共同声明ではなにが合意されたのか,そしてその結果はどうなったのか,簡潔に述べよ。
問2 沖縄施政権返還については,沖縄県民の長年にわたる祖国復帰運動の圧力があったことはよく知られているが,とくにこの時期には,沖縄県民の復帰運動が激しく大規模になった,ある事情があった。また,アメリカ側も,返還に同意することで事態を打開しようとした。沖縄返還の実現を促進することになったある事情とは何か,またアメリカは,なぜ施政権返還によって事態の打開を図ろうとしたのか,下線部(1)の「現在のような極東情勢」といく言葉をヒントにして,具体的に記せ。
問3 沖縄返還をめぐっては,二つの問題が大きな争点となった。声明の(7)(8)を読みながら,その二つの争点とは何であり,いかなる形で日米間で合意されたか,また返還後はその問題はどうなったかを具体的に説明せよ。
問4 佐藤内閣は,沖縄,小笠原の返還にかかわって,下線部(2)にあるように,ある「日本政府の政策」を打ち出していた。それは,どんな政策かを述べよ。