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年度 2022年

設問番号 第1問


 次の文章を読んで,下記の問いに答えなさい。(問1から問5まですべてで400字以内)

 江戸時代の文人⒜菅江真澄は,その紀行文「楚頭賀濱風〔そとがはまかぜ〕」にて  ⒝  の大飢饉で陰惨をきわめた東北地方の様子をつづり,その後,享和年間には同じ地方の秋田の銅山周辺の紀行で,次のように記した。

「わきてここのこがね山は,[中略],かなほりの工となる身は,烟てふ病して齢みじかく,[中略],誰も女は若くして男にをくれ,身の老ぬるまでは,七たり,八たりの夫をもたるが多しと,声のみ話りけるに,なみだおちたり」 (「秀酒企乃温濤〔すすきのいでゆ〕」の抜粋)
 幕府による  ⒞  の改革をはさんで,秋田の藩主⒟佐竹義和は,農・林・⒠鉱業を育成し,製糸や織物を奨励した名君として有名である。しかし,その殖産の過程において藩がこの煙毒という,労働環境の悪化に起因した鉱夫の健康障害に直面していたことも,真澄の記述から同時にみえてくる。

問1 下線部⒜の人物とほぼ同じ時代に活躍した越後国魚沼郡塩沢出身の有名な文人は誰か,また,その人物の代表的な作品をひとつ,それぞれ書きなさい。

問2 ⒝,⒞に入る最も適当な元号を書きなさい。

問3 下線部⒟が設立した藩校の名前を書きなさい。

問4 下線部⒠の示す最も適切な鉱山名を書きなさい。また,この藩では鉱山開発を契機に,独特の画風もうまれることになった。その経緯について,以下の語句をすべて使い,簡潔に記しなさい。
 用語:『解体新書』,平賀源内,小田野直武

問5 上の紀行文「秀酒企乃温濤」(抜粋)に描かれている鉱山被害の背景について,その歴史的経緯を,16世紀以降の日本の鉱物資源開発と利用に関連させながら簡潔に説明しなさい。


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