過去問リストに戻る(大問ごと)(小問ごと)

年度 2022年

設問番号 第3問


 次の文章を読んで,下記の問いに答えなさい。(問1から問4まですべてで400字以内)

 このころは軍部とくに陸軍の突出に並行するように,民間でも国粋運動が昂揚し,たとえば蓑田胸喜のような狂信的なイデオローグ(デマゴーグ)が三井甲之の主催する『原理日本』などに盛んに知識人批判(狩り)の論説を書いていたが,その矛先は左翼のみならず広くリベラルとみなされていた人々にも向けられた。よく知られたところでは,美濃部達吉,滝川幸辰,⒜大内兵衛,⒝津田左右吉などがその標的であった。⒞西田をはじめとする京都学派も例外ではなく,とくに西田には右翼テロの噂さえ流れていたし,西田が親しくしていた原田熊雄なども親米派と目され,⒟二・二六事件のときには反乱軍の標的になっていた。

(小林敏明『夏目漱石と西田幾多郎』)

問1 下線部⒜の人物は1938年に検挙される。この事件は何と呼ばれるか。また,この事件の内容について説明しなさい。

問2 下線部⒝の人物は,1940年に蓑田胸喜らから非難され,著書が発禁とされたうえ,文部省の要求で大学の職を失い,起訴された。その理由について簡潔に説明しなさい。

問3 独自な哲学体系を打ち立てたとされる下線部⒞の人物の代表的な著作名を示しなさい。

問4 下線部⒟の二・二六事件の背景には陸軍の統制派と皇道派の対立があった。両者の主張はどのようなものであるかを示し,事件による両者の関係の変化について説明せよ。


解答例をみる