年度 1983年
設問番号 第2問
次の文章は徳富蘆花の講演「勝利の悲哀」の一部である。講演は1906年12月におこなわれ,当時の日本の状況に批判を加えるとともに,その後の歴史の展開に対しても鋭い洞察をみせている。これを読んで,下記の問い(1)〜(4)に答えよ。(300字以内)
戦後の経営,世界的日本の発展,これ耳やかましく唱道せらるる語なり。(ア)戦後の日本はなるほど大いに発展しつつあるもののごとし。陸軍は師団を増設せんとし,海軍は続々大艦を造る。(イ)南満の経営は大仕掛に始まらんとす。(中略)かつて治外法権に憤涙を抑えかねし日本は,前後三度の征戦を経て,その貧り求め一等国の伍伴に入れり。
ああ日本よ,爾は成人せり。果して成長せるか。(中略)
爾の独立もし十何師団の陸軍と幾十万トンの海軍と云々の同盟とによって維持せらるるとせば,爾の独立は実に愍れなる独立なり。爾の富もし何千万円の生糸と茶と,撫順の石炭と,台湾の樟脳,砂糖にあらば,爾の富は貧しきものなり。爾がいわゆる戦勝の結果は爾をいかなる位置に置きしかを覚悟せりや。(ウ)一方においては,白晢人の嫉妬,猜疑,少なくとも不安は,黒雲のごとく爾をめがけて沸き起こり,また起こらんとしつつあるにあらずや。一方においては,他の有色人種は爾が凱旋喇叭の声にあたかも電気をかけられたるがごとく勃々と頭を擡げ起し来れるにあらずや。この両間に立って,爾はいかにして何をなさんと欲するか。一歩を誤まらば,爾が戦勝はすなわち亡国の始とならん,しかして世界未曾有の人種的大戦乱の原とならん。
(1) 下線(ア)に関連して。日清・日露戦争を経てわが国の貿易のあり方は大きく変化している。そのことを,輸出入の両面について説明し,あわせてそのような変化がなぜ生じたかを特にわが国工業の発展に即して述べよ。
(2) 下線(イ)の部分について。当時の日本は「南満」をどう「経営」したか。この講演が1906年12月におこなわれていることを念頭において具体的に述べよ。
(3) 下線(ウ)の部分はどのような事実をさすか,説明せよ。
(4) この講演も含めて,日露戦争後の時代思潮には日清戦争後とは異なった特徴があらわれてくる。そうした特徴をよくあらあす思潮をひとつとりあげてその内容を論ずるとともに,それがなぜ日露戦争後の時代にあらわれるようになったかを説明せよ。