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年度 1995年

設問番号 第2問


次の文章を読み,下記の問いに答えよ。(400字以内)

 1900年代末から1920年代初めにかけて,三井・三菱・住友の三大財閥は,(1)特殊日本的な独占体としての姿態をととのえた。
 1930年代に入ると,日本の産業構造の重化学工業化にともない,既成財閥とは異なるタイプの(2)新興財閥が台頭し,朝鮮・満州への投資を活発におこなうようになった
 敗戦後,財閥は,日本軍国主義の基盤になっていたという理由で,連合国軍総司令部(GHQ)によって(3)解体された。しかし,東西「冷戦」の激化にともなうGHQの占領政策の転換によって,財閥解体に示された(4)経済民主化政策は後退し,新しい企業集団が形成されるようになった

問1 下線部(1)について。独占体としての財閥の日本的特徴を3点あげよ。
問2 新興財閥の財閥名を2つあげ,下線部(2)を具体的に説明せよ。
問3 下線部(3)について。財閥はどのようにして解体されたか,具体的に説明せよ。
問4 下線部(4)について。新しい企業集団の特徴は幾つかあるが,経済民主化政策の後退との関連で,その特徴を1点述べよ。


【解答例】
1政府との癒着を背景として,鉱業部門を中心に諸産業部門にわたって多角化を進め,それら傘下企業を持株会社のもとに系列化して同族支配のもとに置いた。
2日産と日窒。鮎川義介の日産は満州に進出し,満州重工業開発会社を設立して満州の産業開発を進めた。野口遵の日窒は朝鮮に進出し,水力発電・化学工業を開発した。
3GHQはまず財閥の資産凍結を実施し,次いで財閥家族や持株会社が所有していた株式を持株会社整理委員会に譲渡させて株式の民主化を進め,さらに財閥家族とその関係者を会社役員から追放した。そして,独占禁止法で持株会社やカルテルなどを禁止すると共に,過度経済力集中排除法で巨大独占企業の分割をはかった。
4独占禁止法は,占領政策の転換以降,しばしば改正され,法人による株式保有などが認められて独占の制限が緩められた。そのため,旧財閥系銀行を中核とする諸企業が株式持合などによって結びつき,企業集団が形成された。
(総計399字)