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年度 1995年

設問番号 第3問


1951年9月8日に調印されたサンフランシスコ講和条約について,次の問いに答えよ。(400字以内)

問1 この講和条約は,日本にとって「寛大な講和」という一面を持っていたといわれるが,その「寛大」さの内容を具体的に説明せよ。また,そうした性格の講和が実現した背景について,当時の国際情勢との関連に留意しながら,具体的に説明せよ。
問2 この講和条約が調印された会議には,有力な交戦国の一つが招請されていない。その国と日本との間の「戦後処理」は,その後,どのような形でなされたか,具体的に説明せよ。
問3 この講和条約の締結をめぐって,日本国内では国論を二分する講和論争が起こることになるが,講和の方式や講和後の安全保障のあり方などを中心にしながら,その論争の争点を具体的に説明せよ。


【解答例】
1冷戦が激化して朝鮮戦争が勃発すると,日本占領を主導していたアメリカは,日本を共産主義への防壁として自由に軍事利用することをめざした。そのため,条約では再軍備・工業生産を制限せず,多くの国が賠償請求権を放棄した。
2会議には中国が招請されなかった。中国では国共内戦の結果,中華人民共和国が成立したが,蒋介石政権が台湾に移って対抗しており,日本はアメリカの意向に基づき,サンフランシスコ講和条約締結の直後,蒋介石政権と日華平和条約を結んだ。しかし,ベトナム戦争が進展するなかでアメリカの対中国政策が転換して米中接近が進むと,1970年代初頭,日中共同声明で中華人民共和国と国交を正常化し,70年代末には日中平和友好条約が締結された。
3政府はアメリカ主導の単独講和・アメリカ軍の駐留継続を認めたのに対し,社会党・総評などは中立堅持を掲げ,ソ連・中国を含む全面講和・アメリカヘの軍事基地提供反対を主張して対立した。
(総計400字)