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年度 1998年

設問番号 第2問


 下の図は,1886(明治19)年から1939(昭和14)年までの期間の4つの地域での人口1万人あたりの鉱工業労働者(官営鉱山と官営工場を除く)の人数を示したものである。4本の線はそれぞれ,(1)福岡県,(2)大阪府,(3)長野県,(4)東京府と神奈川県の4地域である。これをみて,つぎの問いに答えよ。(400字以内)

福岡・大阪・長野・東京と神奈川の労働者人口の推移

問1 1886(明治19)年から1890(明治23)年の間に増加している(1)(2)(3)のうち,(2)と(3)が増加した理由を具体的に説明せよ。
問2 1890年から1909(明治42)年の間に(1)が増加したのはなぜか。この時期におきた産業・交通上の変化と関連づけて,具体的に説明せよ。
問3 1929(昭和4)年から1939(昭和14)年の間に(3)だけが減少し,(1)(2)(4)が増加するのはなぜか。この時期を二つに分け,具体的に説明せよ。
問4 1929年から1939年の間に,(4)が(2)よりも大きく増加するのはなぜか。(4)と(2)の質的な違いに留意しつつ,具体的に説明せよ。


【解答例】
1綿糸紡績業での企業勃興により,(2)では大規模な機械紡績工場が相次いで設立され,一方,座繰製糸に代って器械製糸が普及するなか,(3)では中小の製糸工場が増加したため。
2産業革命の進展や海運・鉄道業の発展にともなって動力源として蒸気機関が普及し,また八幡に官営製鉄所が設立され,操業を開始したため,石炭に対する需要が増加し,(1)では炭鉱労働者が増加した。
31932年頃を境に,前半期は井上デフレ財政・昭和恐慌期,後半期は高橋インフレ財政以後の恐慌脱出・好況期に分けられる。生糸輸出の不振が続いたため(3)では減少し続けたが,綿織物の輸出拡大・軍需による重化学工業の成長により,(1)(2)(4)では後半期になって回復・増加した。
4産業構造が重化学工業中心へと転換し,さらに日中戦争のなかで戦時経済統制が強化され,軍需優先・民需抑制の動きが進んだため,綿糸紡績・綿織物業中心の(2)よりも,重化学工業中心の(4)の方が大きく増加した。
(総計397字)