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年度 1999年

設問番号 第1問


次の文章を読んで,下記の問いに答えよ。(400字以内)

 18世紀初頭は,近世社会の大きな転換期であった。商品・貨幣経済の発展と,全国的な交通・物流網の展開は,地域や身分を超えて,すべての人々の生活に大きな変化をもたらし,それへの対応が不可避の政治的課題となった。徳川吉宗による享保の改革は,こうした課題への幕府の取り組みであった。
 吉宗は,多方面にわたる改革を実行したが,彼が「米将軍」と呼ばれたことからわかるように,その経済政策の中核的課題は,(1)米価を中心とする物価対策であった。商品・貨幣経済の発展は,必然的に物価・通貨政策の重要性を増大させたのである。また,この時期,世界有数の巨大都市に成長した(2)江戸の都市政策も,改革の重要な柱であった。さらに,こうした諸施策を円滑に実施するため,吉宗は[   ]を採用して人材登用を行った。

問1 下線部(1)の内容を,当時の物価動向の特徴と関連させて説明せよ。
問2 下線部(2)の内容を,具体的に説明せよ。
問3 [   ]に当てはまる語句は何か。また,その内容を説明し,[   ]が幕府官僚制のあり方に与えた変化についても述べよ。


【解答例】
1江戸初期以来の新田開発や農業生産力の上昇にともなって市場への米供給が増大し,米価は低迷傾向にあった。それに加え,都市での消費生活の拡大にともなって諸物価が上昇傾向にあったため,年貢米の換金により財政をまかなう幕府にとって不利な物価動向となっていた。そこで幕府は,大坂堂島の米市場を公認して米価の引上げをはかる一方,商工業者の同業者組織を株仲間として公認して営業独占権を保証し,諸物価の引下げをはかった。
2火事対策として町火消の整備を促すとともに,評定所門前に目安箱を設けて庶民の意見を聴取しようとした。
3足高の制。幕府官僚制はもともと家格が重視され,役職就任者には役職にみあった禄高を保障されたうえ,退任後もその禄高を維持されるのが基本であった。しかし足高の制では,役職の基準禄高に不足する分を在職中に限って支給すると変更した。そのため,幕府官僚制は能力主義的な傾向を強め,幕臣の官僚化を促進した。
(総計400字)