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年度 2004年

設問番号 第4問

テーマ 近代の農村と都市(食生活をめぐって)


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設問で問われているのは、米の配給制が作られた(1)背景と(2)目的。

まず、米の配給制が作られた時期を確認しよう。
資料文では「こんどの戦争中」とあるが、米の配給制が導入されるのが日中戦争が長期化するなかでのこと(1941)であることは知っているだろう。

ところで、米の配給とは米を国民に分配・支給していく制度だが、米が食糧であることを考えれば、国民に食糧を分配・支給していく制度であるといいかえることができる。
しかし、なぜ市場での流通ではなく、米を分配していかなくてはならないのだろうか?
当然、市場に出まわっている米が不足しているからだと推論できる。つまり、市場で不足している米を(ある程度)公平に分配し、国民への食糧供給を(それなりに)確保しようというのが、配給制である。
では、なぜ市場への米の供給が不足しているのか?−これを日中戦争の長期化と関連させて考えてみよう。
日中戦争が長期化するなかで展開したのは戦時統制経済への移行であったが、それは軍需優先・民需抑制という原則のもとに資金・物資・労働力を統制運用するものであった。それゆえ、労働力や生産資材の不足により米作を中心とする食糧生産は次第に低下し、市場への食糧供給が不足し、食糧難が深刻になりはじめていたのである。


設問で問われているのは、明治期に「砂糖の消費量の増加,肉食の始まりなど」のような食生活の変容をもたらした要因。
「砂糖の消費量の増加,肉食の始まりなど」と聞けば、西洋的な食生活の普及が思い浮かぶだろうから、その理由を考えればよい。

明治維新以降、官吏や軍人をはじめとして西欧で成立していた近代的な生活様式の摂取が進んでいく。いわゆる文明開化の風潮である(→そのなかで牛鍋が流行していたことは知っているはず)。
これで答案を終えるのも一つだが、文明開化はあくまでも明治前期の風潮をあらわす表現にすぎない。それで明治期全体を説明するのは不適切だといえる。明治中期以降に西洋的な食生活−広く考えれば西洋的な生活様式−が普及していく背景も考えよう。
さて、どこで西洋的な生活様式が普及していくのか?−それは、官庁や軍隊、小学校や工場(機械制工場)であり、官庁や工場(機械制工場)の集中した都市においてである。このことを念頭におけば、工場(機械制工場)が相次いで設立され、資本主義経済が発展していったこと、そのもとで都市化が進展していったことが、西洋的な生活様式(→西洋的な食生活)が普及した背景だと気づくだろう。


設問で問われているのは、明治期の農村の人々が都市の人々ほど米を食べていなかった理由。

“明治期の農村”と問われて、何が思いつくか?
地主制(寄生地主制)を想起できれば解答の糸口はつかめたと言えるが、しかし、地主制と農村での「日常米を食わぬ」という状況をどのように関連づけるのか−−「日常米を食わぬ」状況が、農民の手許に米がほとんどないという事情によるものと推論すれば、その事情と地主制との関連を考えればよいことになる。

では、まず地主制(寄生地主制)の内容を確認しよう。
(1)稲作中心の零細農家が基盤
(2)小作料は現物で、収穫のなかばに達するほど高率
小作に従事した人びとは、借金の担保とした土地を手放した没落農民を主体としていたが、明治後期には産業革命が進展していたとはいえ、工業発達がいまだ未熟であったため、都市での就労機会がわずかで、農村に滞留する人口が農地に比べて過剰であった。そのため、小作農の耕地は零細、小作料も高率となったため、農業経営は零細なものにとどまった。
(3)地主…収益を企業に投資したり、みずから企業をおこす
(4)小作農…出稼ぎによって家計を補充

次に、農民(農業生産者)の手許に米がほとんどなかった要因を考えてみよう。
(5)米生産がわずかであった
(6)なんらかの形で農民が生産米の大半を手放していた
この2つのいずれか、または両方を想定しえるだろう。

あとは、この2つと地主制の内容(1)〜(4)とを関連づけて考えていけばよい。
(1)+(5)→零細経営を基盤としていたため米生産が停滞的
(2)+(6)→高率小作料により生産米の大半を収奪されていた
他にも要因を考えることができる。特に(6)については
 生活必需品や肥料などを購入するために、残った生産米の多くも換金された
という要因も無視できない。
最低限のところ、ここまでのデータがでそろえばよい。

これら以外としては、以下の2点を考えることができる。
○江戸時代には、農村では米食が一般化しておらず、雑穀をも主食としていた。その食生活が明治期にも継承されていた。
「米は武士や町人らの主食となり,農民は赤米や雑穀を主食とし,1汁に野菜・魚の煮物など季節の産物や漬物ものなどをそえた食事をとるようになった。」(『詳解日本史』三省堂)
○都市人口の増加にともなって米需要が増大したため、米は都市へと集中し(それでも米供給が不足したため米の輸入が増加する)、農村では不足した。


(解答例)
A日中戦争下に軍需優先の統制経済が展開し、労働力不足などから米の生産・供給が低下したため、最低限の国民生活維持を図った。
B明治初期以来の文明開化の風潮と共に、資本主義経済が発展して都市化が進展するにともない、西洋的な生活様式が普及したため。
C零細経営を基盤とする寄生地主制が発展し、そのもとで米の生産が停滞したうえ、生産米の大半が高率小作料として地主により収奪され、残った米も生活物資や肥料などの購入のため換金された。
(別解)近世以来、雑穀が主食であった。さらに寄生地主制のもと、米の生産が停滞したうえ、高率小作料により大半が収奪され、残った米も生活物資などの購入のため、都市向け商品として換金された。