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年度 2007年

設問番号 第1問

テーマ 8世紀の銭貨政策/古代


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問われているのは,8世紀末に(5)の法令が出されるようになった理由。
条件として,銭貨についての政策の変遷をふまえることが求められている。

「銭貨についての政策」に関して,設問に「銭貨を発行し,その使用を促進するためにさまざまな政策を実行してきた」と記してある。ここから,銭貨の発行という政策と,銭貨の使用を促進する政策とが想定されていることがわかる。しかし,資料文(1)〜(5)には,銭貨の発行という政策については言及がない。もちろん,それを念頭においたものと考えることも可能だが,高校日本史レベルでは和同開珎はともかく,それ以降における銭貨の発行については,村上朝の乾元大宝くらいしか知識としてはないのが一般的であり,無視して考えてよい。

資料文(1)〜(3)はすべて平城京遷都の直後であり,そして資料文(5)が平安京遷都の直後であることを念頭におけば,条件でとりあげられている「政策の変遷」は,この2つの段階における政策の違いを表現することが求められていると判断できる。

◎平城京遷都の直後(8世紀初)
資料文(1)→銭貨と物品の交換比率を公定。「諸国」からの調庸を銭で納めることを想定(促進か?)。
資料文(2)→貴族・官人に対して禄の代わりに銭貨を支給。蓄銭叙位令を制定。
資料文(3)→「諸国」の役夫・運脚の者に対して,「郷里に帰るとき」銭貨を携行することを命令。
◎平安京遷都の直後(8世紀末)
資料文(5)→「畿内以外の諸国」に対して銭を官へ提出することを命令。

ここでまず,政策の対象を確認すると,8世紀初の諸政策は「諸国」を対象とした政策であるのに対して,8世紀末の政策が「畿内以外の諸国」を対象としていることがわかる。

次に政策の内容である。
資料文(2)に含まれる蓄銭叙位令が「銭貨の流通を促進する」政策であったことは既知のことがらである。この点を念頭におけば,8世紀初の諸政策は,(平城京造営という状況のもと)銭貨の流通・使用を全国的に促進しようというものであったことがわかる。
それに対して8世紀末の政策は,「畿内以外の諸国」に対して「もっている銭」をことごとく政府へ吸収しようとするものである。もちろん,没収ではなく代価を払ったうえでの交換である。しかし,「銭を隠す者を罰し,その銭は没収せよ」というのであるから,事実上の強制である。このように畿内以外の諸国での銭貨の流通・使用をやめさせ,銭貨を政府のもとへ還流させようとしたのが,(平安京造営という状況にあった)8世紀末の政策である。

では,なぜこのような政策の転換が生じたのか。
資料文(5)では「畿内以外の諸国の役人や人民が銭を多く蓄えてしまうので,京・畿内ではかえって人びとが用いる銭が不足している」と,その事情を説明している。
これが,設問で問われている「8世紀末に(5)の法令が出されるようになった理由」だろうか。
もしそうだとすれば,資料文(4)は利用しないままに終わってしまう。それゆえ,資料文(4)は,(5)の法令が出されるようになった理由の一端を示したものと考えるのが妥当だろう。

では,資料文(4)の内容を確認しよう。そこには,
「東大寺を造る役所」について
○京内の市で銭貨を使用して物品を購入していること
○雇っていた人びとに労賃として銭貨を支払ったこと
そして,
山背国では調が銭納されていたこと
が記されている。

これらはどのような事態だろうか。
「京・畿内で銭貨が流通するようになっている」と単純に表現することもできるが,「政府の役所から銭貨が民間に流れ,租税という形で政府に還流してくる」様子が説明されていると表現するほうが正確である。

そもそも和同開珎という銭貨が発行されたのは,平城京造営にともなう歳入不足を補うためであった。つまり,銭貨は政府が経費を調達するために発行したものであり,だからこそ,政府のもとへ還流させ,それを通じて流通させる必要があったのである。

ということは,資料文(5)の法令のなかの「京・畿内ではかえって人びとが用いる銭が不足している」という表現は,政府が用いる銭が不足しているという事態を言い換えたものと考えるのが妥当である。
実際,聖武朝以降の東大寺造営事業(大仏を含む)や国分寺建立事業は,政府の財政を大きく窮迫させていたし,さらに桓武朝における遷都事業(長岡京造営に加えて平安京造営も行った)は政府財政をさらに厳しいものとしていた。そして(大学受験レベルの知識としては細かいが)796年には隆平永宝という銭貨が新しく鋳造され,旧来の銭貨の10倍の価値で流通させられている。
こういう状況のもと,政府は畿内以外の諸国での銭貨普及策を放棄し,その使用を抑制し,中央政府へ強制的に還流させる政策をとったのである。


(解答例)
政府は8世紀初,全国的な銭貨普及策をとった。物品との交換比率を公定した上,官人の給与に組み込み,人民に諸国での使用を促す一方,調庸の銭納や蓄銭叙位令により政府への還流を図った。その結果,京・畿内では流通が普及したが,東大寺造営などで政府の歳入不足が深刻化したため,8世紀末,畿内以外の諸国に対しては銭貨普及策を放棄し,中央へ半ば強制的に還流させる政策へ転じた。
(別解)政府は8世紀初,全国的な銭貨普及策をとった。物品との交換比率を公定した上,官人の給与に組み込み,人民に諸国での使用を促す一方,調庸の銭納や蓄銭叙位令により政府への還流を図った。しかし京・畿内以外では銭貨が流通せず,一方,東大寺造営などで政府の歳入不足が深刻化したため,8世紀末,畿内以外の諸国に対しては銭貨普及策を放棄し,中央へ強制的に還流させる政策へ転じた。
この設問をめぐって,ある高校教員Aさんからご意見・ご質問をいただきました[2007年3月下旬]。最初は口頭での意見交換だったのですが,Aさんからメールをいただいて以降,しばらくメールのやり取りを行いました。参考になると思いますので,ここに公開しておきます。

●Aさんからのメール●
さて今年度の東大の第1問ですが、先日に話をうかがった後,解答に至るある道筋が私なりに僅かながら見えたような気がしました。
古代国家が、銭貨で様々な物が買えるなどの貨幣万能論で流通の促進に努めていたけれども、
逆に貨幣が不足して退蔵されたものを回収したというのが私の考えでした。
しかし、お話をしているうちに焦点となった文章4の扱い方と文章5との関連性について少し考察が前進したように思えます。
私なりに導き出しました現段階の論述の骨格は以下の通りです。

古代国家は、銭貨使用促進のための政策(文章1・2)や銭貨は便利であるということも含めた地方流通促進政策(文章3)を行い、
全国的な銭貨流通に努めた。
結果的に銭貨が日本国内にある程度は知られるようになった(流通までは言い過ぎと考えています)。
特に畿内において銭貨が必要不可欠な存在(文章4)となり、銭貨の需要が著しく増した。
しかし、その需要に応えられるだけの銭貨が不足していた。
そこで古代国家は、これまでの流通促進の政策を自ら否定しながらも地方で退蔵されている銭貨を回収して、
畿内の需要に応えられるだけの銭貨発行に踏み切らざるをえなかった。

以上が私の考えです。
更にこの考え方の根拠として、
「隆平永宝」以後、銅銭における鉛の含有量が増えていること。
限られた銅でより多くの銅銭を発行しなければならない状況。
もう一つ。桓武天皇が新王朝の事業として貨幣発行に力を入れていたこと。
事実、貨幣の字体がこれまでのものと違うことは専門家も指摘しています。
この様な学会の見地からも、文章4と文章5がスムーズに解釈できるのではと考えております。
如何なものでしょうか?
[2007.3.23]

●返信●
こんにちは,Aさん。塚原です。
先日はありがとうございました。
お話をうかがったあと,
『新体系日本史12 流通経済史』のなかに栄原永遠男氏の論稿が含まれていたので,
さっそく読んでみました。

さて,
>  古代国家は、銭貨使用促進のための政策(文章1・2)や銭貨は便利である
> ということも含めた地方流通促進政策(文章3)を行い、全国的な銭貨流通に
> 努めた。結果的に銭貨が日本国内にある程度は知られるようになった(流通ま
> では言い過ぎと考えています)。特に畿内において銭貨が必要不可欠な存在
> (文章4)となり、銭貨の需要が著しく増した。しかし、その需要に応えられ
> るだけの銭貨が不足していた。そこで古代国家は、これまでの流通促進の政策
> を自ら否定しながらも地方で退蔵されている銭貨を回収して、畿内の需要に応
> えられるだけの銭貨発行に踏み切らざるをえなかった。

基本的な構成は妥当だと思うのですが,
やはり「銭貨の需要が著しく増した」「畿内の需要に応えられるだけの」の部分がひっかかります。
誰が銭貨を使用するのでしょうか?
あるいは,銭貨に対する需要はどこにあったのでしょうか?

資料文4では,
造東大寺司と調庸を納める公民の2つが銭貨使用の主体として登場しているのですが,
地方で退蔵されている銭貨を回収する主体が政府であることを念頭におけば,
銭貨使用の主体としてはまず第一に政府(の機関)が想定されていると判断できるように思います。

さらに,
「畿内の需要に応えられるだけの銭貨発行」
と表現されているのですが,
上記論稿での栄原氏の議論に従うならば,
隆平永宝発行は「銭貨発行収入の確保をめざした」ものです。
Aさんが
> 「隆平永宝」以後、銅銭における鉛の含有量が増えていること。
> 限られた銅でより多くの銅銭を発行しなければならない状況。
と書かれている事態が,
そのことを如実に示しているように思えます。
つまり,
銭貨に対する需要はまずもって政府に存在した
と言ってよいのではないでしょうか。
ですから,
資料文5の法令が出された背景の一つとして「政府の歳入不足」を指摘することができる
と思うわけです。

視点をかえれば,
地方で退蔵されている銭貨を政府が回収したあと,
どのような形で民間に供給するのでしょうか?

政府(の機関)による支出という形をとって民間に供給されるのですよね。
この「政府(の機関)による支出」は単なるフィルタなんでしょうか?
政府(の機関)が支出に際して銭貨を用いることに何の意図もないのでしょうか?
「銭貨に対する政策」という設問での表現に注目するならば,
その意図にも着目する必要があるのではないでしょうか。

なお,
「流通」という表現を用いるかどうかは,
その言葉をどのように規定するかですので,
受験レベルで言えばそれほど深く突っ込むところではないと思いますので,
言及はさけておきます。
[2007.3.25]

●Aさんからの返信●
塚原さんのお考えになる「政府の歳入不足を補う」という点に関しまして異論はありません。
元々栄原永遠男先生がご指摘している通り、隆平永宝発行は銭貨発行収入の確保をめざしたものでありますから、
これが政府の財源となるのは明白です。

ただ私自身が気になりますのが、
この問題に関しては桓武朝というものを考える必要があるのか、
畿内という律令国家にとって特別な地域を考慮する必要があるのか、
律令国家自らが流通政策を否定する点について触れる必要があるのかということです。
宜しければ、この点に関しましても御教授願いたいと思います。
[2007.3.26]

●返信●
こんばんは,Aさん。塚原です。
> ただ私自身が気になりますのが、
> この問題に関しては桓武朝というものを考える必要があるのか、
> 畿内という律令国家にとって特別な地域を考慮する必要があるのか、
> 律令国家自らが流通政策を否定する点について触れる必要があるのかということです。

まず桓武朝というものを考える必要があるのかという点についてです。
必ずしも必要ないのかもしれません。
しかし,
資料文の提示というタイプの出題を「学問研究を疑似的に追体験させようとする試み」と考えれば
そうした同時代性まで意識してよいと思います。
いや逆に,
同時代性を意識した答案を作るという選択肢を積極的に選ぶことがあってもよいのではないでしょうか。

次に「畿内」を考慮する必要があるのかという点についてです。
資料文5で「畿内以外の諸国に向けて出した」と明記してあることを意識すると,
畿内とそれ以外の諸国という区別を考慮することが必要だと思います。
(実際には伊賀・近江・若狭・丹波・紀伊の5か国が禁制の対象から除外されているとのことですが)

それに,
設問では「銭貨についての政策の変遷をふまえて」との条件がつけられています。
8世紀初からの変化を意識しなければならないわけで,
となると単に蓄蔵(もしくは所持)の許可・不許可だけではなく地域のズレも意識する必要があると思います。

最後に律令国家自らが流通政策を否定する点について触れる必要があるのかという点です。
さきほどの話のくり返しになりますが,
「銭貨についての政策の変遷をふまえて」との条件がつけられている以上,
否定か修正かはともかくにせよ触れる必要があります。
そして,
少なくとも銭貨の蓄蔵に対する政府の政策が資料文2と5とでは異なっていると読み取れますから,
やはり自らの政策を否定した点についても(表現の強弱はあれ)触れる必要があると思います。

なお,
前回のメールで参照した栄原氏の論稿によれば,
伊賀・近江・若狭・丹波・紀伊の5か国に対しては例外として「其の資用を聴し,其の貯蓄を禁ず」とのことですから,
それ以外の畿外諸国では銭貨の蓄蔵だけでなく使用(通用)も禁制とされたと考えてよいと思います。
(これは解答例作成前には知らなかった事実なので完全な後知恵ですが(苦笑))
[2007.3.26]