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年度 2007年

設問番号 第3問

テーマ 江戸後期の学問発達/近世


問題をみる
問われているのは,18世紀後半における学問の発展。
条件として,研究方法に共通する特徴にふれることがもとめられている。

まず資料文の内容を確認しよう。
資料文(1)=平賀源内の事例
「薬草や鉱物」の研究は本草学とよばれたが,次第に実地で実物調査を行うものが増え,享保改革以降の殖産興業政策と結びついて博物学・物産学として発展していった(山川『新日本史』p.208も参照のこと)。

資料文(2)=『解体新書』の訳出
資料文(3)=西欧の世界地理書の訳出
ともに西欧の学問(洋学)が導入された事例である。資料文(2)は医学なので自然科学という範疇で考えればよいが,資料文(3)の世界地理はどう考えればよいのか。その際に参考になるのが,伊能忠敬が「地上の実測と天体観測を組み合わせた測量をおこな」ったこと(山川『新日本史』p.221)である−もちろん朽木昌綱は実測を行ったわけではない−。つまり,資料文(2)=医学と同様,自然科学という範疇で考えてよい。
まとめれば,医学や地理学の分野で西欧の科学的な研究が導入・摂取された,ということになる。

資料文(4)=本居宣長の事例
本居宣長は言わずもがな国学者である。資料文(1)〜(3)に登場する蘭学者たちとは系統が異なるように思われるかもしれないが,設問の設定では「研究の方法に共通する特徴」があるとされているのだから,その点を念頭におきながら資料文を読みたい。
すると,「古語の用例を集めて文章の意味を推定する作業をくり返しつつ」との表現が目につく。
このような研究方法はすでに荻生徂徠が儒学において導入しているが(古文辞学派),平たく言えば,広く資料を収集し,具体的な証拠にもとづいて学問を研究しようとする方法(考証)である。西欧の科学的な研究(洋学)にみられるような,経験的な事実にもとづいて学問研究をすすめようとする実証主義とともに,形而上学的要素を排除しながら対象を研究しようとする姿勢において共通性がある。
それゆえ,国学については,日本の古代精神を探究しようとする姿勢ではなく,日本古典の考証という点に力点をおいて説明したい。


(解答例)
18世紀後半に発展した諸学問は,広く資料を収集し,具体的な証拠にもとづいて研究しようとする方法が共通していた。本草学は殖産興業政策とも結びついて物産学として発展し,医学や地理学の分野ではオランダ語を介して西欧の科学的な研究が導入され,日本の古代精神探究のために古典の考証的研究をすすめる国学も発展した。