過去問リストに戻る

年度 2009年

設問番号 第3問

テーマ 江戸時代の日中間の貿易・文化交流/近世


問題をみる


問われているのは,(1)の時期と(2)の時期以降とでの,中国との貿易品における変化。条件として,国内産業への影響を含めることが求められている。

(1)の時期:「鎖国」形成期
輸出=金銀(特に銀)
輸入=中国産生糸
参考:資料文(1)「主要な輸入品であった中国産品」

(2)の時期以降:綱吉・白石期以降(清の中国支配が確立し,中国船の来航が増加して以降)
輸出=銅,のち俵物
輸入=生糸輸入の減少
参考:資料文(2)「1715年には,銅の輸出量にも上限を設けた」から,正徳期以降,銅の輸出も抑制されていたことが分かる。では,金銀に加えて銅の輸出も制限されたあと,代替とされたのは何か。教科書レベルの知識としては,田沼時代の長崎貿易を想起すればよい。
<影響>
俵物の輸出→水産業の活発化
生糸輸入の減少→生糸の国産化(製糸業の発達)
(なお,17世紀後半から18世紀前期,長崎での生糸貿易の減退期には,西陣における白糸供給は対馬藩の朝鮮貿易に依存していたとされる)

なお,海舶互市新例についての主要な教科書の記述は下記の通り,異なっているが,田代和生「徳川時代の貿易」(『日本経済史1 経済社会の成立』岩波書店)や太田勝也『鎖国時代長崎貿易史の研究』(思文閣出版)に従えば,実教『日本史B』の記述が正しい。
山川『詳説日本史』
「長崎貿易では,多くの金銀が流出したので,これを防ぐために1715(正徳5)年,海舶互市新例(長崎新令・正徳新令)を発して貿易額を制限した」。
山川『新日本史』
「海舶互市新例(正徳新例)により,貿易額の制限と銅や俵物を輸出品の中心にする長崎貿易の大改革をおこない」
実教『日本史B』
「清船は年30隻・銀高6000貫,オランダ船は年2隻・銀高3000貫に制限した。支払いは一部銅によっておこなわれたが,当時は金銀の流出に加え,銅の流出も問題になっており,この法令は銅の流出抑制も意図したものであった。」


問われているのは,江戸時代の中国からの文化流入の特徴。
「特徴」が問われているので,まず内容を考えたうえで,他の時代と対比することが必要。

江戸時代における中国からの文化流入:内容
山川『新日本史』では,元禄文化のところで,中国の『本草綱目』が輸入されて以降,本草学が発展したこと,渋川春海が当時中国で使われていた暦を参考に貞享暦を作成したこと,化政文化のところで,中国から移入された文人画や南画にならって文人画が描かれるようになったこと,円山応挙が中国の写生風の花鳥画に影響を受けて写生画を確立したことが,それぞれ記述されているものの,一般的には知識がないだろう。
したがって,資料文から「内容」を抽出するしかない。
資料文(3)
中国書籍は,キリスト教に関係しない限り,長崎から全国へと商業ルートを通じて流通
資料文(4)
禅僧や「医術・詩文・絵画・書道などに通じた」中国人が長崎にしばしば来航

これらのデータをみると,キリスト教に関係するか否かについて幕府の検閲を受けていること,中国人の来航が長崎であること(あるいは長崎に限定されていると考えられること−隠元隆●[き]は幕府の保護下,宇治に寺院を建立するが−)が,鎖国政策を背景とするものであることに気づく。鎖国政策は江戸時代特有のものなので,この2点は特徴と考えてよい。
そのうえで,他に特徴はないか。
そこで,他の時代,たとえば江戸時代と同様に中国との直接的な通交のあった室町時代,日明勘合貿易の時代と対比してみるとよい。日明勘合貿易の時代は渡来僧に代表される文化人の来航は基本的になかったのに対し,資料文(4)では禅僧など中国人が直接来航して文化を伝えている。その点を違いとしてピックアップすることができる。
あるいは,「鎖国の一般的イメージ」との対比において考える,という方法もある。そうすれば,中国書籍が全国に流通し,中国人が文化を直接伝えていることをデータとして抽出することができる。


(解答例)
A(1)の時期は生糸の輸入,銀の輸出が中心であった。(2)の時期以降,生糸輸入が抑制される一方,輸出は銅,次いで俵物へ移った。その結果,生糸の国産化が進み,蝦夷地などで水産業が活発化した。(90字)
B禁教・鎖国政策の下,キリスト教関係を除いて漢籍が自由に流入し,場所は限定されたが中国人により学術・文物が直接流入した。(60字)