過去問リストに戻る

年度 2011年

設問番号 第2問

テーマ 室町幕府と守護/中世


問題をみる


問われているのは,幕府の運営や重要な政務の決定に参画した守護にみられる共通点。条件として,中央における職制上の地位にもふれることが求められている。
まず,「中央における職制上の地位」という表現に即して,「幕府の運営や重要な政務の決定に参画した守護」を具体的に列挙してみよう。
室町幕府のもとで,「幕府の運営や重要な政務の決定」にかかわる「中央における職制上の地位」と言えば,将軍補佐役の管領,侍所の長官である所司の2つを思い浮かべることができる。
ここから,「幕府の運営や重要な政務の決定に参画した守護」とは,管領に就任する細川・斯波・畠山(三管領と総称),所司に就任する一色・京極・山名・赤松(四職と総称)を念頭においた表現である,と判断することができる。

次に,三管領・四職と総称される守護にみられる共通点を考える。
教科書レベルの知識から言えば,三管領が足利氏一門であることはわかるかもしれないが,四職はどうだろうか?もし出自についての知識がないのであれば,ここに共通点を見つけようとするのはやめにしたほうがよい。ちなみに,一色氏は足利氏一門だが,残りの3氏は異なる。
となれば,表と資料文からデータを抽出するしか方法はない。資料文には三管領・四職の諸氏に関する記述がないので,表だけを素材として考えよう。
表からのデータ抽出:
◎複数(3つ以上)の国の守護に任じられている
◎畿内・近国(あるいは京都周辺)の国の守護に任じられている


問われているのは,今川・上杉・大内の各氏が在京を免除されることが多かった理由。

教科書レベルでは知識がないので,問題文に提供されたデータから考えよう。
まず注意したいのは,提示されている表が「鎌倉府の管轄および九州をのぞいた諸国」の守護一覧である点。なぜ,それらの諸国を除外しているのだろうか?
「鎌倉府の管轄」という表現に注目するなら,「九州」とは九州探題の管轄にある地域であり,一方,表に掲載されている諸国は室町幕府が直接管轄している地域である,との推論が成り立つ。
このように考えれば,大内氏(周防・長門の守護)と今川氏(駿河の守護)・上杉氏(越後の守護)の共通点が見えてくる。室町幕府の管轄地域と,鎌倉府や九州探題の管轄地域との境界に領国をもつことである。
次に,資料文(2)。「大内氏は(中略)弱体化していた九州探題渋川氏にかわって,九州の安定に貢献することを幕府から期待される存在になっていた」とある。
一方,上杉氏(越後の守護)が関東管領を世襲する地位にあったことに注目したい(越後守護代長尾景虎が関東管領上杉氏を継いだことを知っている人もいるだろう)。

呉座勇一さんから,越後守護の上杉氏と関東管領上杉氏(特に山内上杉氏)は密接な親族関係にあるものの別個の家であり,「上杉氏(越後の守護)が関東管領を世襲する地位にあったこと」との記述は誤りであるとの,ご教示をうけました。[2011.3.5]
この2つこれらを合わせて考えれば,幕府の管轄外である関東や九州,鎌倉府や九州探題が管轄する(はずの)地域に対して,幕府の支配・影響力を及ぼし,それらの地域の,幕府のもとでの安定に貢献することを,共通して期待されていた,と推論することができる。
なお,今川氏(駿河の守護)については,受験生としては,鎌倉府の管轄地域(伊豆・甲斐)に隣接しているという点から,おそらく同様の役割を期待していただろう,と推測するしかない。


問われているのは,足利義満の守護に対する施策。「義持の時期における安定」を「準備」した,という限定がついている。

資料文(1)に,「南北朝の動乱がおさまったのち」,「諸国の守護は,原則として在京を義務づけられ」,と書かれている点に注目すれば,南北朝の動乱のなかで強大化した守護を統制するための政策をあげればよい,と判断できる。
そして,資料文(2)に「かつて幕府に反抗したこともあった大内氏」とある。
したがって,応永の乱など,有力守護の勢力を削減する政策を説明すればよい。


(解答例)
A管領や所司に就き,三管領・四職と総称された有力守護は,畿内やその近国を含む3つ以上の領国をもつという共通点がみられる。(60字)
B鎌倉府や九州探題の管轄地域との境界に領国をもち,それらの地域へ幕府の影響力を及ぼし,支配を安定させる役割を期待された。(60字)
C南北朝の動乱のなかで強大となった有力守護の勢力を削減した。(30字)