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年度 2012年

設問番号 第1問

テーマ 古代における軍事力の構成・性格の変化/古代


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問われているのは,8世紀から10世紀前半に,政府が動員する軍事力の構成と性格がどのように変化したか。
まず,「政府が動員する軍事力」が取り上げられている点に注目し,資料文のなかで「軍事力」(兵力)がどのように表現されているかを整理したい。

資料文(1)
「すでに確立していた軍団制・兵士制のシステムを利用して動員された兵力」……①
資料文(2)
「坂東諸国などから大規模な兵力をしばしば動員」……②
資料文(3)
「坂東諸国」への命令:「有位者の子,郡司の子弟などから」「軍士」を選抜・訓練……③
「陸奥・出羽・佐渡と西海道諸国を除いて軍団・兵士を廃止」……④
資料文(4)
「平貞盛・藤原秀郷らは,政府からの命令に応じて自らの兵力を率いて合戦」……⑤

「変化」,いいかえれば時期による違い,に注目すると,
8世紀(①・②)=「軍団制・兵士制のシステム」→8世紀末に一部地域を除いて廃止(③)
という変化が書かれていることがわかる。
では,「軍団制・兵士制のシステム」とはどういうものか?
◎戸籍に基づく人民支配(籍帳支配)を基盤
◎公民(戸籍に登録された成年男子)を動員=義務として(徴兵制)
◎兵士を諸国の軍団に配属・訓練→外征や反乱鎮圧などに動員

続いて,この「軍団制・兵士制のシステム」と③,⑤がどのように異なるのか,確認しよう。
③について。
◎国を単位としたシステム
◎「有位者の子,郡司の子弟など」を軍士として動員(選抜)
◎国のもとで軍士を訓練
ここで動員(選抜)された軍士の訓練される場所と,諸国の軍団との関係は分からないが,ともに,国家のもとで公的な形で動員・常備された兵力,あるいは,動員され集められ,公的に訓練が施される兵力である点で共通していることが分かる。
しかし,「軍団制・兵士制のシステム」が戸籍に登録された公民,一般民衆を広く対象としたシステムであるのに対し,③は「有位者の子,郡司の子弟など」という特定の階層(「有位者」とは位階をもつ人物=貴族・官人)を対象としたシステムである点に違いがある。
ところで,③の軍事動員のシステムと「軍団制・兵士制」とはどのような関係があるのか?
資料文(3)のなかで一緒に,一部地域を除いて軍団・兵士が廃止されたこと(792年)が記されていることから,健児制を思い浮かべるかもしれない。しかし,健児制は792年,軍団・兵士の廃止と同時に設けられ,「国の大小や軍事的必要に応じて国ごとに20~200人までの人数を定めて,60日交替で国府の警備や国内の治安維持にあたらせた」(山川『詳説日本史』),と教科書では説明されている。長期に及んだ対蝦夷戦争の「軍事動員に備える」(資料文(3))ものではないし,規模も異なる。健児を思い浮かべるのは構わない(かもしれない)が,教科書に書かれている健児制と同じだ,と即断するのは危険である。
となると,資料文から推論するしかない。
資料文(3)には「国ごとに軍士500~1,000人」とあり,坂東諸国(8国)から4,000~8,000人は動員できるものの,これだと藤原広嗣の乱での政府軍の動員数とほぼ同じ(資料文(1))。恒常的な大規模動員には対応できない。さらに,資料文(2)に「坂東諸国などから大規模な兵力をしばしば動員」したことが書かれており,これが軍団に配属されていた兵士の動員だと推測できることも念頭におけば,国ごとの軍士(資料文(3))は,軍団・兵士とは別に,それを補強するために設けられた国(国司)管轄下の常備軍(対蝦夷戦争に対応した期間限定の措置かもしれないが)である,と判断できる。
と同時に,資料文(3)の後半に書かれている軍団・兵士の廃止も,長期にわたる対蝦夷戦争という情勢を念頭におけば,軍団制・兵士制というシステムの枠にこだわらない軍事動員へと,軍事力の構成のし方が改編されたもの,と判断するのがよい(たとえば村岡薫「健児は軍団兵士に取って代わった兵制か」樋口州男他編『再検証・史料が語る新事実 書き換えられる日本史』小径選書を参照のこと)。
では,軍団制・兵士制というシステムに依らずに誰がどのように軍事力を指揮・動員するのか?ここは推測しかできず,国司や地方豪族がそれを担った可能性があるが,そこまで推論しなくともよい。

⑤について。
◎「平貞盛・藤原秀郷ら」が「政府の命令に応じ」る
◎平貞盛・藤原秀郷らが「自らの兵力」を率いる
まず,政府側の軍事力を構成するのが「平貞盛・藤原秀郷ら」という中下級貴族である点で,③のシステムと共通していることが分かる。
しかし,彼ら(の子弟)が国のもとで選抜され,訓練を施されるシステムがあったのか? 平貞盛・藤原秀郷ら,承平・天慶の乱を鎮定した人物の家系が,のち武家(軍事貴族)と称されるようになることを念頭におけば,10世紀前半の段階にそのようなシステムを想定するのは難しい。つまり,彼らは政府管轄の常備軍を構成していた,とは想定し難く,その点で③のシステムとは異なる。実際,彼らが「自らの兵力」=私的にもつ独自の軍事力を持っていたと記されている。つまり,身分制に基づく軍事力の編成へ変化する端緒を,ここに見てとることができる。


(解答例)
8世紀には律令制のもと,戸籍に登録された公民に対して兵士役を義務として賦課し,政府管轄の常備軍を編成していた。8世紀末,長期にわたる対蝦夷戦争によって軍事動員が大規模化すると,中下級貴族・地方豪族らに依存しながら,公民に限定されない軍事力編成に修正された。10世紀前半には,武芸に優れた中下級貴族・地方豪族らが私的に編成する軍事力を随時,動員する体制へ変化した。(180字)