過去問リストに戻る

年度 2013年

設問番号 第3問

テーマ 江戸幕府の支配体制とその変化/近世


問題をみる


問われているのは,(1)・(2)の時期に江戸幕府が,その支配体制の中で大名と天皇それぞれに求めた役割。
資料文(1)・(2)ともに「あるべき姿」との表現が含まれているので,そこに記されている内容を確認すればよい。

資料文(1)
大名のあるべき姿=「文武弓馬の道,専ら相嗜むべき事」
→「弓馬の道」つまり武芸の鍛練が重視された。大名は武士身分であり,軍役を負担すること,軍事の職分を果たすことが求められていた。

資料文(2)
天皇のあるべき姿=「第一御学問なり」
→「学問」に修めることが重視された。
資料文⑵で,続いて「皇帝による政治のあり方を説く中国唐代の書物や,平安時代の天皇が後継者に与えた訓戒書に言及している」と書かれている点に注目すれば,「学問」とは「皇帝による政治のあり方を説く中国唐代の書物や,平安時代の天皇が後継者に与えた訓戒書」を討究することである,と判断できる。したがって“政治に関与しない”と表現しても説明にならないことがわかる。何を行うことが「あるべき姿」なのか,「学問」を言い換えながら表現したい。
「中国唐代」「平安時代」との表現に注目すれば,学問とは具体的には古来の先例,有職故実を学ぶことであることがわかる。したがって,天皇に求められたのは,先例をふまえて朝廷での儀式(年中行事)を滞りなく行うことである。


問われているのは,1683年に幕府が武家諸法度を改めたのはなぜか。武士の置かれた社会状況の変化,という視点で考えることが求められている。

資料文(3)・(4)によれば,1683年に出された天和の武家諸法度では,
・第1条が「文武弓馬の道,専ら相嗜むべき事」から「文武忠孝を励まし,礼儀を正すべき事」に改められた …ア
・末期養子の禁の緩和,殉死の禁止が条文として加えられた                       …イ
ことがわかる(資料文に明記されずとも知識として持っているはずだが)。
アは,武芸の鍛練よりも忠孝(主君への忠誠と父祖への孝行)の道徳や礼儀(分際にかなった振る舞い)による秩序を重視したものであり,イは,主従関係を主君と従者との個人的な関係に基づくもの(従者個人が主君個人へ奉公する関係)から主家(主君の家)に従者が代々奉公するという家どうしの関係へと変化する状況を促進したものであった。

以上のことがらをそのまま書き込めば答案ができあがりそうだが,「武士の置かれた社会状況」という表現に注目したい。
「武士の置かれた社会状況」は武士どうしの関係に注目するだけでは判断できず,したがって,先にイについて確認した「変化」を説明するだけでは不十分である。武士以外の人々との関係のなかで考える必要がある。

武士は村々から奉公人(足軽などの武家奉公人)や陣夫を動員しながら戦闘に従事する人々であった。しかし,天和の武家諸法度が定められた頃はすでに戦乱が終焉し,平和な秩序が形成されていた。そうしたなかで村々の百姓たちから武士が期待されたのは,村々の百姓たちの成り立ち(経営の維持・安定)を保証する為政者としての役割であった。いいかえれば,武士には徳政を行うことが求められ,為政者としての徳が求められる時代がやってきたのである。2003年度第3問も参照のこと。


(解答例)
A大名には武芸を鍛練して軍事の職能を果たすこと,天皇には中国・日本を問わず古来の先例を学んで儀礼に従事することを求めた。(60字)
B戦乱が終焉するなかで,主従関係が属人的な性格を弱め,従者が主家に代々奉公する関係へと変化したうえ,武士には百姓経営の安定など統治を担う為政者としての役割が求められるようになった。(90字)