過去問リストに戻る

年度 2015年

設問番号 第2問

テーマ 鎌倉時代の地頭御家人/中世


問題をみる


問われているのは,御家人の所領が⑴のように分布することになったのはなぜか。条件として,鎌倉幕府の成立・発展期の具体的なできごとにふれることが求められている。

「⑴のように分布」と書かれているので,まず⑴から所領がどのように分布しているのかを確認しよう。三浦氏の事例である。
相模国三浦半島が本拠 →関東(東国)
陸奥国名取郡・好島西荘 →東北
河内国東条中村,紀伊国石手荘・弘田荘 →近畿(畿内近国)
肥前国神埼荘 →九州
つまり,東国だけでなく東北,畿内近国,九州と「全国各地」に分布している。

次に,⑴には「13世紀半ばまでに」と時期が区切ってあることに留意しながら,鎌倉幕府の成立・発展を考えよう。
鎌倉幕府は,治承・寿永の乱のなかで成立した。源頼朝のもとに参集した東国武士らの軍事力によって東国を制圧したことに始まる。その際,源頼朝は東国武士らに敵方(平氏方)の武士らの所領を占領(没収)・支配することを認め,と同時に,敵方所領からの免除という形で本領安堵を行っていった。ただ,⑴では本拠以外に東国の所領が出てきていない。
治承・寿永の乱が終わった後,源頼朝は奥州合戦を行い,源義経をかくまったという理由で奥州藤原氏を滅ぼした。
鎌倉幕府の成立期に,敵方所領没収という形で新恩給与が行われたのは,この2つの事例である。
次に地頭の新設,つまり,敵方所領の没収と御家人への給与が行われるタイミングを想起すれば,1221年の承久の乱である。後鳥羽院が北条義時追討を掲げて挙兵し,鎌倉幕府に敗北したことにより,幕府は畿内・西国で院方所領を没収し,御家人に給与していった。いわゆる新補地頭である。
これ以降,13世紀半ばまでに地頭が新設されるタイミングはなく,ここで考察を止めてよい。

あとは両者を対応させればよい。


問われているのは,①「⑴のような構成」の所領を御家人たちはどういった方法で経営したか,②それがその後の御家人の所領にどのような影響を与えたか。

まず,「⑴のような構成」とはどういうものかを確認しておこう。
⑴に「全国各地に所領を有する」と書かれているのでそのまま借用してもよいが,一カ所にまとまっていないという意味を込め,「各地に散在」と表現しておく。

次に,所領の経営方法についてである。
教科書ではたいてい,御家人が先祖以来の所領を経営しているあり様を説明している。しかし,この設問では,各地に散在する所領の経営方法が問われている点に注意したい。資料文に即して考えていこう。

○「相模・豊後国内の所領を子供たちに譲った」……ア
○「幕府への奉公は惣領の指示に従うことを義務づけていた」……イ
○「のちに庶子のなかには直接に幕府へ奉公しようとする者もあらわれ」……ウ
アから。この表現だけでは所領をどのように分けたのかは不明だが,所領が分割相続されていることがわかる。つまり,所領は一門の惣領と庶子とによって経営が分担されていた。
イとウから。
本来,惣領の統制・統率のもとに一門がまとまっていたのに対し,「のちに」惣領による一門の統制,あるいは惣領を中心とする一門の結束が緩み,庶子のなかに惣領の統制から独立しようとする傾向をみせるものがいたことがわかる。


○「金融業を営む者が各地の御家人の所領において代官として起用され,年貢の徴収などにあたっていた」
「年貢の徴収など」は本来,地頭職をもつものの職務であり,御家人が行わねばならないことがらである。したがって,「金融業を営む者」(たとえば借上)が所領経営を請負うことが広く行われていたことがわかる。
では,御家人はなぜ「金融業を営む者」に対して所領経営を請負わせたのか。
設問Aで確認したように,御家人の所領は戦さのつど,敵方所領を恩賞として給付されることで集積されており,経営上の効率性を考慮して集積されたものではない。ところが,上記のイにあるように,これらの所領を経済基盤としながら一門全体として幕府への奉公を担っていた。それゆえ,各地に散在しているからといって,個々の所領ひとつ一つで経営が完結するわけではない。散在する所領を全体としてまとめて経営する必要があった。
そして,御家人が一門でまとまって所領を経営しながら,幕府への奉公(や荘公領主への年貢・公事の納入)を担うには,事務能力にすぐれた人々の協力が必要だったし,広域にわたる流通・信用(金融)のネットワークに依存することが必要だった。こうしたなか,荘園などの経営能力にも長けた,借上など金融業を営む者を代官に起用し,所領経営をまかせることがあったのである。
一方,御家人のなかには,所領からの収益を担保として金融業者に借財するものもいた。京都大番役など幕府への奉公にかかる経費をまかなう必要があるし,資料文⑶で言えば,少し前に寛喜の飢饉(1330年代前半)が生じており,飢饉により在地が荒廃するなか,荒廃した耕地の復興や開発などの経費がかさんでいたことも想起できる。こうして支出が増えれば,金融業者への借財が累積する。そこで,借財の代わりに金融業者が代官として所領経営にかかわるケースが出てくる。所領の質入れという事態である。


永仁の徳政令についての説明であるが,その内容のなかでピックアップされているのは,次の2点だけ。
○御家人が所領を質入れ・売却することを禁止
○すでに質入れ・売却された所領の取り戻しを命令
そのうえ,翌年に「この禁止令」が解除された,という。「この禁止令」は「御家人が所領を質入れ・売却することを禁止」した部分を指すのだから,当時,所領を質入れ・売却することは禁止できない状況であったことがわかる。
したがって,所領を質入れ・売却する御家人が増えていたことを指摘することで答案を〆ればよいだろう。


(解答例)
A鎌倉幕府は東国を制圧したうえ,奥州合戦で東北,承久の乱で畿内・西国に勢力を伸ばし,御家人は各地に敵方所領を給与された。(60字)
B御家人は各地に散在する所領を一門の惣領と庶子で分割相続し,惣領の統率下で経営を分担した。世代を重ねると,庶子が惣領の統制から独立傾向をみせたり,所領の細分化や幕府への奉公などから困窮し,借上など金融業者に所領を質入れ・売却する者が増えた。(120字)
(別解)B御家人は各地に散在する所領を一門の惣領と庶子で分担して経営し,信用経済の発展を背景に,借上に経営を請負わせることもあった。世代を重ねると,庶子が惣領の統制から独立傾向をみせ,分割相続による所領の細分化から所領を質入れ・売却する者が増えた。(120字)


【添削例】

≪最初の答案≫

A鎌倉幕府は東国を支配して関東の武士に本領安堵し,奥州藤原氏を滅亡させ東北を,承久の乱で西国を制圧し,地頭を任じた。

B御家人は所領を惣領と庶子に分割相続したが,中には独立的傾向を強めた庶子がいたり,所領経営を借上に請け負わせる者がいたりした。さらに貨幣経済の浸透や所領細分化により窮乏した御家人は,所領を質入れし,売却するようになっていった。

Aについて。
「承久の乱で西国を制圧し」との表現は適切ではありません。

「地頭を任じた」と書いていますが,幕府が誰を地頭に任じたのかが明言できているわけではなく,御家人の所領が東北や西国にも散在していることを表現できているとは言えません。
表現にもうひと工夫が必要です。

Bについて。
「御家人は所領を惣領と庶子に分割相続したが,中には」という表現では,
「⑴のような構成の所領を御家人たちはどういった方法で経営したか。また,それがその後の御家人の所領にどのような影響を与えたか。」という設問の要求に応えたことにはなりません。

まず,分割相続は「経営」の方法ですか?

次に,「……が,」と逆接の接続表現を使い,さらに「中には」と書いたのであれば,「それ(経営の方法)が」御家人の所領に与えた「影響」を説明しようとする論理構成をとろうとしていないとしか判断できません。

≪書き直し≫

A幕府は東国を支配し,奥州藤原氏を滅ぼし東北へ,承久の乱で西国・畿内へ支配を広げ,御家人に本領安堵・新恩給与した。

B御家人は各地の所領を惣領と庶子に分割相続,管理させた。借上に管理を任せる場合もあった。分割相続により所領は細分化が進み,それに加えて貨幣経済の浸透もあり,窮乏した庶子は惣領から自立するようになり所領は質入れ・売却されるようになった。

> A
> 「承久の乱で西国、畿内に支配を広げ」としました。また、御家人を地頭に任じたことを、本領安堵、新恩給与、とまとめました。
> B
> 経営方法は、「分割相続、経営した」でよいのでしょうか。後半は「所領」が主体になるように書き直しました。

AはOKです。

Bについて。
「御家人は各地の所領を惣領と庶子に分割相続,管理させた」という表現は不自然です。
「分割相続,経営」と表現するのは問題ないですが,
惣領が一門を代表して将軍と主従関係を結んでいますから,御家人を狭義でとらえると惣領を指しますから,その「御家人=惣領」が「惣領と庶子に……させた」と表現するのは適当ではありません。

「借上に管理を任せる場合もあった。」の部分は,これでも悪くないのですが,なぜ御家人が借上に管理を任せる場合があったのかは分かりますか?

後半を所領主体の表現としたのはよいのですが,
「窮乏した庶子は惣領から自立するようになり所領は質入れ・売却されるようになった」という表現は適当ではありません。
まず,庶子のなかに惣領から自立して「直接幕府へ奉公しようとする者があらわれ」たのは,経済的な困窮が原因のように読めますが,そもそも経済的に困窮しているのであれば幕府へ奉公することもかなわないのではありませんか? 幕府へ奉公するより,借上に所領を質入れ・売却して没落したり,あるいは,北条氏などの有力御家人に属し,その被官となったりすることのほうが一般的ではありませんか?
次に,その表現だと,所領を質入れ・売却したのは庶子だけのように読めます。惣領が経済的に窮乏することは想定できないのでしょうか?

≪書き直し2回目≫

B御家人は各地の所領を惣領と庶子で分割相続,管理した。経理に通じた借上に管理を任せる場合もあった。分割相続で所領は細分化が進み,庶子が惣領から独立して幕府に奉公し,窮乏した惣領・庶子によって所領は質入れ・売却されるようになった。

> 「惣領と庶子に」を「惣領と庶子で」にしました。借上に管理を任せた理由は、借上が「経理に通じていたから」としました。
> 所領細分化や幕府への奉公で窮乏化した惣領、庶子が所領を質入れ、売却した、としました。

基本的にはOKですが,
最後の文は少し工夫した方がよいです。
庶子の独立傾向と所領の質入れ・売却は別次元のことがらなので,ちょっとしたことですが,たとえば,
「庶子が惣領から独立して幕府に奉公し,
 一方(また),
 窮乏した惣領・庶子によって所領は質入れ・売却されるようになった。」
のように,並列の接続表現を入れるとよいですね。