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年度 2020年

設問番号 第3問

テーマ 改暦と朝幕関係,中国・西洋文化の影響/近世


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暦の作成を素材としながら,朝廷・幕府の関係,そして海外文化(学問的知識)の流入・摂取を問うた出題である。

設問A
問われているのは,江戸時代に暦を改めるに際して,幕府と朝廷がそれぞれどのような役割を果たしたか。条件として,両者を対比させることが求められている。

高校日本史の教科書では,朝廷が改暦についての権限を保持し続けたものの幕府の承諾が必要となったことは記述されているものの,それ以上のことは説明されていない。したがって,資料文からデータを読み取り,それに基づいて考えればよい。
資料文⑴・⑵には,貞享暦が作成され,施行された経緯が説明されている。

資料文⑴
・幕府…渋川春海が考えた新たな暦を採用
    天体観測や暦作りを行う天文方を設置=渋川春海を任じる
資料文⑵
・朝廷…暦を改める儀式を行い,暦を命名する=幕府の申し入れをうけて

・幕府…新たな暦を全国で施行

この「手順」は江戸時代を通じて変わらなかったとあるので,これだけのデータをもとに答案を構成すれば問題ない。その際,幕府・朝廷という主体を明示しながら手順通りに説明してもよいし,手順を無視して幕府と朝廷とに分けて説明してもよい。
ただし注意しておきたいのは,資料文⑷に「公家の土御門泰邦が幕府に働きかけて作成を主導した」という記述があることである。つまり,新たな暦を作成するのは幕府の天文方だとしても,朝廷側が作成を主導するケースがあった,つまり,幕府(天文方)は暦の作成という実務を担うとはいえ,常に暦の作成を主導していたとは言い切れない,という事実を念頭においておきたい。

設問B
問われているのは,江戸時代に暦を改める際に依拠して知識がどのように推移したか。条件として,幕府の学問に対する政策とその影響に留意することが求められている。

改暦の際に依拠した知識について書かれているのは,資料文⑴・⑸である。
資料文⑴=貞享暦のケース
・貞享暦=元の暦をもとに,明で作られた世界地図も見て
資料文⑸=寛政暦と天保暦のケース
・寛政暦=清で編まれた西洋天文学の書物をもとに
・天保暦=オランダ語の天文学書の翻訳を完成し,これを活かして

つまり,
元禄期:中国の知識

寛政期:漢訳洋書=中国経由の西洋の知識

天保期:洋書の翻訳=西洋の知識に直接依拠
という風に推移している。

続いて,幕府の学問に対する政策とその影響を確認し,上記の推移と関連づけていこう。
幕府の政策が説明してあるのは資料文⑴・⑶・⑷であり,このうち「学問に対する政策」は後2者である。
資料文⑶
・西洋天文学の基礎を記した清の書物『天経或問』の刊行を許可
・内容は有益であるとの判断から刊行を許可
;「1730年」つまり享保期なので,漢訳洋書の輸入制限の緩和に関連する政策だと判断できる。そして,その政策が実学を奨励する意図から実施されたことも確認できる。
資料文⑷
・大坂の麻田剛立
・天文方に人員を補充 → 以後天文方の学術面での強化を進める
;資料文⑸に「麻田剛立の弟子高橋至時」とあるので麻田剛立が洋学者であると判断でき,ここの説明は幕府が天文方に洋学の成果を取り入れていったことを指すと判断できる。

では,こうした幕府の政策の影響とは何か。
享保期に漢訳洋書の輸入制限が緩和されたことが18世紀後半以降における洋学の発達をもたらしたこと,そして寛政期や天保期に改暦を行う際に西洋の知識に依拠するようになったことを念頭におけば,洋学(蘭学)が発達したことを指摘できれば十分である。


(解答例)
A幕府は新たな暦の作成と全国での施行という実務的な役割を担い,朝廷は改暦の儀式と命名を行うという儀礼的な役割を担った。
(別解)A幕府の天文方が天体観測をもとに暦を作成し,幕府の申し入れにより朝廷が改暦・命名の儀式を行った後,幕府が全国で施行した。
B元禄期は中国の知識に依拠した。幕府が漢訳洋書の輸入制限を緩和して実学を奨励すると,洋学が発達し,寛政期には中国経由の西洋の知識が参考にされ,天保期には西洋の知識に直接依拠した。