年度 2020年

設問番号 第3問


次の⑴~⑸の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えなさい。

⑴ 日本では古代国家が採用した唐の暦が長く用いられていた。渋川春海〔しぶかわはるみ〕は元〔げん〕の暦をもとに,明で作られた世界地図もみて,中国と日本(京都)の経度の違いを検討し,新たな暦を考えた。江戸幕府はこれを採用し,天体観測や暦作りを行う天文方を設置して,渋川春海を初代に任じた。
⑵ 朝廷は幕府の申し入れをうけて,1684年に暦を改める儀式を行い,渋川春海の新たな暦を貞享暦と命名した。幕府は翌1685年から貞享暦を全国で施行した。この手順は江戸時代を通じて変わらなかった。
⑶ 西洋天文学の基礎を記した清の書物『天経或問〔てんけいわくもん〕』は,「禁書であったが内容は有益である」と幕府が判断して,1730年に刊行が許可され,広く読まれるようになった。
⑷ 1755年から幕府が施行した宝暦暦は,公家の土御門泰邦〔つちみかどやすくに〕が幕府に働きかけて作成を主導したが,1763年の日食の予測に失敗した。大坂の麻田剛立〔あさだごうりゅう〕ら各地の天文学者が事前に警告した通りで,幕府は天文方に人員を補充して暦の修正に当たらせ,以後天文方の学術面での強化を進めていった。
⑸ 麻田剛立の弟子高橋至時〔たかはしよしとき〕は幕府天文方に登用され,清で編まれた西洋天文学の書物をもとに,1797年に寛政暦を作った。天文方を継いだ高橋至時の子渋川景佑〔しぶかわかげすけ〕は,オランダ語の天文学書の翻訳を完成し,これを活かして1842年に天保暦を作った。

設問
A 江戸時代に暦を改めるに際して,幕府と朝廷はそれぞれどのような役割を果たしたか。両者を対比させて,2行以内で述べなさい。
B 江戸時代に暦を改める際に依拠した知識は,どのように推移したか。幕府の学問に対する政策とその影響に留意して,3行以内で述べなさい。


解法のヒント