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年度 2021年

設問番号 第3問

テーマ 徳川綱吉期における富士山噴火の復興事業/近世


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問われているのは,17世紀後半以降の幕府財政上の問題。いいかえると,幕府が資料文⑴・⑷のような対応をとる背景。

まず,資料文⑴・⑷の内容を幕府財政に関連することがらに限ってピックアップしておく。
資料文⑴
「近年出費がかさんでおり,砂が積もった村々の御救も必要」として,全国の村々から「諸国高役金」を徴収した。
資料文⑷
幕府に上納された約49万両の「諸国高役金」のうち,被災地の救済に使われたことがはっきりしているのは6万両余にすぎなかった。

いずれも,幕府が財政難に陥っている様子を示したもの。
したがってこの設問では,幕府が17世紀後半以降,財政難に陥った事情を説明することが求められている。資料文にはそれに関連する事項はなく,知識で答えよう。

収入面と支出面に分けて整理したうえで,財政難(財政破綻)に陥っていたとまとめておきたい。
収入が減少:金銀産出額が減少(金銀が枯渇)
支出が増加:明暦の大火後の江戸復興費がかさむ,人材登用(や幕臣の増加)にともなって人件費が増加,元禄期に寺社の造営がさかんに行われた

なお,字数が2行(60字)と少ないので,支出面については3つのうち2つを選び,収入面とのバランスをとっておけばよい。


問われているのは,①被災地の救済にあたって幕府がとった方針,②その方針にどのような問題があったか。条件として,資料文⑵・⑶のように対応が異なる理由に注意することが求められている。

宝永の富士山噴火にともなう被災地を復興するため諸国高役金を全国から徴収したことは,一部の教科書に記載があるが,被災地の救済にあたって幕府がどのような方針をとったのかについては全く知識がない。したがって,資料文から抽出してこよう。

まず,被災状況を確認しておこう。
資料文⑴
被災状況…広範囲に砂(火山灰)が降り,砂はさらに川に流れ込んで大きな被害をもたらした

これをもとに考えれば,被災地の救済は
・砂が積もった村々の救済:資料文⑴
・砂が堆積した河川(酒匂川)の氾濫を予防する工事:資料文⑵・⑷
この2つが想定される。
そして,この2つの救済事業は資料文⑵・⑶にそれぞれ説明されている。

資料文⑵
 対象地域:「豊かな」足柄平野=酒匂川の下流
 被災状況:上流から砂が流れ込んで堆積したことで氾濫の危険性が高まっていた
 対応:「最も危険な」場所を補強する工事を緊急に行う=幕府と他地域の大名とが費用を分担
 影響:砂の除去が不十分だったため氾濫・洪水が繰り返された
資料文⑶
 対象地域:「冷涼な」富士山麓の村々
 被災状況:砂が最も深く積もった
 対応:砂除に対する幕府からの手当てはわずか ⇄ 本来は莫大な費用が見込まれる
    後に幕府の財政的援助により砂を流す水路を開削=村々が一部の田畑を潰して砂を捨てていたことへの対応
 影響:捨てた砂が酒匂川に流れ込む→下流部に堆積

村々の砂を除去する作業が資料文⑶,河川の氾濫を予防する工事が資料文⑵で説明されている。設問文には両者では「対応が異なる」と指摘されているので,まずは資料文⑵・⑶の「対応」がどのように異なるのか,考えたい。
資料文⑵
 幕府と他地域の大名とが費用を負担して対応
資料文⑶
 幕府からの手当てがわずか→村々の自助を軸として対応,後で水路開削の費用を支給
ここから,幕府は足柄平野=酒匂川の下流での氾濫予防のための工事(資料文⑵)を優先し,富士山麓の村々の救済(資料文⑶)を後回しにしたことがわかる。そして,富士山麓の村々の救済については,村々が「一部の田畑を潰して砂を捨てていた」ことを受け,後になって砂を流す水路の開削費用を支給している。場当たり的な対応を取っていたことがわかる。
場当たり的な対応という点では,平野部での河川の工事についても同じことを指摘することができる。「最も危険な」場所を補強する工事を緊急に行ったものの,砂の除去が不十分だった,という点である。

続いて,対応の異なる理由を考えたい。
資料文⑵は「豊かな」平野部,資料文⑶は「冷涼な」山麓
資料文にある形容句に注目すれば,平野部は田畑が多く農業がさかんであるのに対し,山麓は農業に適していない地域と判断できる。したがって被災状況の大きさで優先順位を考えるのではなく,村々が幕府(幕藩領主)の財政基盤であり,その確保を優先するという観点から,「豊かな」つまり石高が多い平野部の復興が優先された,と判断できる。

では,こうした幕府の方針にはどのような問題があったのかについて考えよう。
資料文⑵
 平野部:河川で砂の除去が不十分→氾濫・洪水が繰り返された
資料文⑶
 山麓:砂を流す水路を開削→砂が河川に流れ込む→砂が下流部に堆積
このように並べてみると,河川工事が緊急で行われたためもあるのだろうが,山麓(上流)での救済策がかえって平野部(下流)で河川の氾濫・洪水を頻発させていた様子がわかる。幕府の流域全体の連関を考えていなかったため被災地の復興を遅らせた,とまとめることができる。

なお,資料文⑷から,諸国高役金のほとんどが被災地と関係の薄い使途に流用されたことがわかる。諸国高役金の賦課は,被災地の救済を口実にしつつ,幕府財政を補填するための政策だったと評価できる。


(解答例)
s A収入面では金銀産出額が減少する一方,明暦の大火に伴う江戸復興,寺社の造営などによって支出が増加し,財政難に陥っていた。(60字)
(別解)A収入面では金銀産出額が減少する一方,明暦の大火に伴う江戸復興,幕臣の増加などによって支出が増加し,財政難に陥っていた。(60字)
B幕府は財政事情を重視し,石高が多い平野部の洪水対策を優先し,被害の大きい山麓部は自助を軸とした。そして場当たりで対応して流域全体の連関を考えなかったため,被災地の復興を遅らせた。(90字)