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年度 2024年

設問番号 第4問

テーマ 明治〜昭和戦前期の小作農/近代


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問われているのは,1873年から1916年にかけて,小作地の比率が図1のように変化した要因。

まず,図1から「変化」を読み取りたい。
図1の読み取り
①1873→1883:大幅に小作地率が増加
②1883→1907:緩やかに小作地率が増加
③1907→1916:小作地率に変化なし
とりあえず,このように3つに区分できるものの,増加→変化なしという風に2つに区分することも可能である。字数を考えると後者で対応するのが得策だろう。

続いて,それぞれの背景・原因を確認しよう。
①1873→1883:大幅に小作地率が増加
1883年は松方財政期である。
松方財政に伴い,デフレ,農産物価格の下落にともなって地租負担が実質的に増加し,農村不況が生じていた。
問題文ならびに資料1にあるように,農地売買が自由となり(つまり私的土地所有制度が整い),農地を担保とする金融(借入・貸付)が制度的に保障され安定するなか,借入金を返済できなければ土地所有権は移転する。
地租負担の実質増,農村不況のなかで経営不振に陥った農家のなかには,農地を手放して小作に従事するものが増えてくる。その事態を反映したものと言える。 (なお,資料1を使った形にするには,土地所有制度の整備といった表現だけで済ませない方がよい)

②1883→1907:緩やかに小作地率が増加
1892年や1907年は,産業革命が進展した時(資本主義が発展し始めた)期である。
産業革命が進展するなか,紡績業や綿織物業が発展するのにともない,綿花栽培,そして手織機を使った(問屋制家内工業の形態での)綿織物業が衰退する。また,製糸業は輸出産業として発展し,それにともなう養蚕も活発となるものの,アメリカなどの市場動向により輸出額が変動し,経営に影響を及ぼす。 このように産業革命が進展するのに伴い,農家のなかには経営が不安定となり,経営不振から農地を手放して小作に従事するものが増える。

ここまでは,背景こそ,松方財政と産業革命の進展というように異なるが,経営不振から農地を手放して小作に従事する農家が増加した,という状況が同じである。つまり,農地を手放した農家が都市部へ流出せず,農村に滞留していた時期として,①と②をまとめることができる。

③1907→1916:小作地率に変化なし
1916年は大戦景気のさなかである。
②の時期と同じように資本主義が発展した時期であるが,②の時期が繊維産業(紡績・綿織物業や製糸業)の発展を中心としていたのに対し,この時期は重化学工業が発展した時期である。そして,重工業の成長に伴って男性労働者が増え,都市人口が増加した,つまり,農村から都市への人口流出が顕著となった時期である。 ここから,経営不振から農地を手放したとしても農村に留まることなく,男性の就労機会が増えた都市へ流出する農家が増加し,その結果,小作地率は変化せず停滞していたと判断できる。


問われているのは,1941年8月から1945年11月にかけて,図2に見られる収益配分の変化がどのような政策的意図によってもたらされたか。

まず,図2に見られる収益配分の変化を確認しよう。

図②の読み取り
・地主の配分率が減少し,小作農の配分率が増加している

設問文によれば,この変化は「政策的意図によって」もたらされた結果である。
その政策として念頭に置きたいのは,問題文に「農地改革に先立ち,地主の権利への規制が強められた」と書かれている点である。そして,問題文に書かれているような政策とは,資料2に掲載されている「農地調整法(1938年4月)」を指すことが分かる。

資料2
・「地主は……小作契約を解約したり小作契約の更新を拒否したりすることはできない」

このような内容をもつ農地調整法は,小作農すなわち生産者を優遇する政策である。
では,政府はなぜ生産者を優遇する政策を採用したのか。それを判断するうえで手がかりとなるのが資料3の「農林次官通牒(1941年11月)」である。

資料3 ・「自作農と小作農への生産奨励金の交付」→「米の生産が有利になる」
・「地主が小作契約を解約して自作しようとする」行為について
 「食料増産のためにあってはならず」
 「農地調整法に照らしても認められない」

ここから,生産者を優遇する政策を採用したのは食料増産が目的であったと判断できる。
ここまでの考察で答案が書けてしまいそうだが,もう一歩ふみ込み,その背景まで考察を進めたい。つまり,資料2の1938年4月,資料3の1941年11月がどのような時期であったかを考えたい。
当時,日中戦争が長期化し,それに伴って総力戦体制の形成が進み,国民を戦争協力に動員する体制が整えられていた。この体制を維持・機能させていくには,国民の不満が生じないよう,(銃後の)国民生活を維持することが必要であった。食糧の増産はそのための政策であった。


(解答例)
A農地を担保とした借入が容易になるなか,経営不振から農地を手放す農家が増加した。明治期は多くが農村で小作に従事したが,大正期は重化学工業の発達した都市へ流出し,小作地率は停滞した。(90字) (別解)A農地売買の自由化を背景に,松方デフレや産業革命の進展に伴い農地を手放す農家が増えた。明治期は多くが小作に従事したが,大正期は重化学工業の発達した都市へ流出し,小作地率が停滞した。(90字) B日中戦争が長期化して以降,戦争遂行には国民の戦争協力が必要であり,そのためには銃後の国民生活を維持することが不可欠であった。そこで生産者である小作農を優遇し,食料増産をめざした。(90字)