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年度 1977年

設問番号 第1問

テーマ 鎌倉新仏教/中世


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(A)
設問の要求は、(ア)法然・親鸞・一遍、(イ)栄西・道元、(ウ)日蓮のそれぞれを特色づける教えを説明すること。
字数が70字なので、それぞれについて20字程度しか当てられず、教えをコンパクトに説明することが不可欠だ。

(ア)法然・親鸞・一遍
彼らは浄土教を基礎として新宗派を開いた人びとで、阿弥陀仏がすべての人びとの極楽浄土への往生を平等に約束していることへの信仰を基礎におき(他力本願)、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることによって極楽浄土への往生が保障されると説いた。
まず法然は、ひたすら念仏を唱えることだけに専念すること(専修念仏)を主唱し、それ以外の修行の宗教的価値・意義を否定した。親鸞はその説を発展させ、阿弥陀仏の本願への信仰、念仏を唱えようと思う信仰心を重視し、悪人であることを自覚して他力に頼りきるものこそが阿弥陀仏の救おうとする相手であるとの悪人正機説を説いた。そして一遍は、善人・悪人や信心の有無を問うことなく全ての人が救われると説き、各地を遊行してまわって踊念仏を通じて念仏と一つになりきることを勧めた。

(イ)栄西・道元
彼らは宋に渡り、戒律と坐禅による修行とにより悟りを開こうとする禅宗を伝えた。(ア)の浄土教系とは異なり、自力本願の考え方である点に特徴があった。
栄西は坐禅のなかで師からあたえられる公案という問題を一つ一つ解決して悟りに達することを主眼としたが、道元は坐禅を悟りを開くための手段と考えず、坐禅そのものを重視する教えを説き、ただひたすら坐禅に徹すること(只管打坐)を強調した。

(ウ)日蓮
彼は天台宗の中心経典である法華経に対する信仰を徹底させ、法華経を釈迦の正しい教えとして選び、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えることによってのみ救われると説いた。

(B)
設問の要求は、法然・親鸞・一遍と日蓮との教えに共通する特色。条件として、古代仏教と比較することが求められている。

まず“古代仏教”の内容・特色を確認しよう。
“古代仏教”とは南都の諸宗や天台・真言宗をさすが、鎌倉時代の宗教界においても依然として中心であった。それらの諸宗派は“顕密仏教”と総称され、それぞれ独自の教義をもち、多くの学僧が集まってその研究が行われる(顕教)一方、厳しい修行を重視し、秘密の呪法を通じて仏の世界に接しようとする密教を共通して取り入れ、加持祈祷により鎮護国家の役割を担うと共に皇族・貴族などの現世利益に応えていた。さらに、皇族・貴族など在家者(世俗の人びと)は、出家して厳しい修行を重ねる僧たちに対して布施を行えば悟りへの縁を結ぶことができると主唱されたため、顕密仏教は皇族・貴族を中心に多くの人びとの帰依をうけ、彼らによる造寺造仏や荘園の寄進がさかんに行われた。こうして、顕密仏教の諸寺社は中央政界において独自の政治勢力を誇ると共に、全国にわたる荘園を通じて各地の農民や商工業者にも大きな影響力をもった。

それに対して、法然・親鸞・一遍や日蓮に共通する特色は何か。
(A)で確認したように、彼らは阿弥陀仏や法華経への信仰を徹底させ、念仏や題目を唱えることだけで救われると説いていた。つまり、彼らは念仏や題目を唱えるという平易な修行(易行)を1つだけ選び出し(選択)、他の修行の意義を否定してそれだけに専念すること(専修)を主張し、出家せずにふつうの生活をしながらの救済を説いた点が共通していた。それゆえ、民衆救済を目的とし、民衆を顕密仏教の呪縛から解き放つという効果をもっていた(だからこそ異端派として弾圧にさらされた)。

以上のことがらを対比しながら簡潔にまとめれば次のようになる。
顕密仏教   さまざまな修行を兼ねる・戒律を重視
法然や日蓮ら 1つの修行を選択・専修

(E)
設問の要求は、悪人正機説とは誰の思想か、またその内容はどのようなものか。

誰の思想か…親鸞
内容…
親鸞は、法然と同様、末法であることを前提に論を進める。専修念仏を説いた法然は、末法(釈迦の教えこそ残るものの、修行するものも悟りを開くものもいなくなる段階)であるがゆえに、阿弥陀仏の本願にすがること(他力)以外のすべての修行の意義を否定したが、親鸞も同じく末法であることを前提に、“真実の”善人の存在を否定する。末法の世に生きる我々は皆、本質的に悪人だというのである(仏教で罪業だと言われてきたことがらをやめることができない人びと−−たとえば猟師や武士など殺生を生業とする人びとだけが“悪人”なのではなく、悪人とはいわば末法の世に生きる全ての人びとを象徴的に表わす表現なのである)。にもかかわらず自力作善に励む人びと(善人)は阿弥陀仏の本願を疑う不信心の人びとであり、自らが悪人であることを自覚し、打算や虚栄心のからんだ自力作善を行うことなく他力に頼りきる(阿弥陀仏の本願にすがりきる)人こそが極楽往生できる、と親鸞は説いたのである。


(解答例)
(A)
ア阿弥陀仏を信じ、念仏を唱えることで極楽往生できる。イ戒律と坐禅による修行により悟りを開く。ウ法華経を信じ、題目を唱えることでのみ救われる。
(B)
世俗生活のもとでただ1つの修行を専修することによる救いを説き、古代仏教で重視された戒律やさまざまな修行の意義を否定した。
(C)興禅護国論
(D)正法眼蔵
(E)
親鸞。末法に生きる我々は本質的に悪人であり、そのことを自覚し、阿弥陀仏の本願にすがって他力に頼りきる人こそ往生できる。