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年度 1978年

設問番号 第2問

テーマ 惣と土一揆・近世〜近代における地主制の発達/中世・近世・近代


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(A)
設問の要求は,初期(室町中期)の土一揆が(1)京都・奈良をはじめとする畿内の地域に集中的におこった理由,(2)その主力が農民であった理由。条件として,この地域の農民社会の状態に重点をおくことが求められている。

まず,畿内(とその周辺)の農民社会の状態について。
ここで想定されているのが“惣(惣村)”であることは,すぐに気づくはず。
惣(惣村)は,地侍化した有力名主を中心とし,名主・小百姓を構成員とする自治村落。寄合で村政運営を協議し,村落内の秩序維持のために惣掟を制定,入会地や灌漑施設を共同管理し,年貢納入を百姓全体で請負い(百姓請),警察・裁判権を自ら行使していた(自検断)。
こうした自治的な地域支配を村落レベルで実現した百姓たちは,さらに領主の違い(荘園・公領の枠)をこえて広く結合するようになっていく。それが土一揆の社会的な基盤であり,だからこそ問題文で「組織的な行動をもって幕府軍に対抗した」とか,「農民の組織的な参加があった」と表現されているのである。

こうした畿内(とその周辺)の農民社会の状態,つまり“畿内とその周辺では惣(惣村)を基礎とする百姓たちの広域な結合が形成されていたこと”を明確にできれば,設問の要求(1)と(2)の一端をすでに説明してしまっている。
しかし,それだけでは説明の一端にすぎない。
なぜ畿内(とその周辺)で惣(惣村)が形成されたのか,なぜ農民(百姓)が「土倉・酒屋・寺院を襲い,質物を奪い借用証文を破」るという行動に出ざるをえなかったのか,の2点を明確にしておくことが必要である。
畿内(とその周辺)で惣(惣村)が形成された背景。
 畿内は経済の先進地域であり,鎌倉〜室町時代には二毛作の普及など農業生産力が向上し,農民(百姓)の成長が著しかったこと。
農民(百姓)が土倉・酒屋などを襲撃した背景。
 流通経済の発達にともない,京都・奈良をはじめとする畿内の地域では土倉・酒屋などの高利貸業者が活躍し,農村部にも彼らへの負債が累積していたこと。


(解答例)
畿内は経済の先進地域であり,農業生産力の向上を背景として農民の成長が著しく,自治村落である惣村を基礎として農民たちの広域な結合が形成される一方,流通経済の発展にともなって農民のなかにも土倉・酒屋など高利貸業者への負債が累積していた。

 

(B)
設問の要求は,近世から近代へとつながる歴史的な動向を,農民の社会について説明すること。条件として,(1)地主制の発展に注目すること,(2)四つの指定語句を全部使用すること,が求められている。 なお,「近世から近代へとつながる歴史的な動向」については,問題文のなかで“明治維新の変革を可能とする条件が,江戸時代においてある程度まで熟していたと考えられる”と説明されている。つまり,「つながる」というのは,連続しているということであり,江戸時代において展開していた動向が,明治維新以降,さらに促進・発展していくということである。そうした動向を“地主制の発展”を軸として説明せよというのが,この設問である。

指定語句を年代順に配列すると,
≪江戸≫
「本百姓を基本とする村の組織」…幕藩体制の基礎

「商品作物の栽培や問屋制家内工業」…これが百姓の階層分化を招いて地主制の形成を促した(田畑の売買が禁止されていたため,質地を媒介とした地主・小作関係が形成)
≪明治≫
「土地の所有権」…地租改正にともない,地主の土地所有権が法的に認められた

「米価の下落」…松方財政のもとでのデフレ→自作農の没落・地主への土地集中を招いて地主制(寄生地主制)が進展した

なお,「米価の下落」は江戸時代でも使うことができるが,“地主制の発展”という視点からいえば,“松方財政のもとでのデフレ”に関連して使うのが妥当。


(解答例)
江戸後期,商品作物の栽培や問屋制家内工業が発達して農村へ商品経済が浸透すると,百姓の階層分化が進み,本百姓を基本とする村の組織が動揺して地主制の形成が進んだ。明治維新後,地租改正で地主・自作農は土地所有権を確認されたが,地租の金納化により商品経済に深く巻き込まれ,その結果,松方財政による米価の下落に伴って農民の階層分化がいっそう進展し,地主制が発展した。