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年度 1978年

設問番号 第3問

テーマ 政党内閣と金融恐慌・満州某重大事件/近代


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(A)
設問の要求は,「政党内閣」の特質。条件として,いわゆる「政党内閣」時代の各内閣の崩壊の原因を念頭におくことが求められている。

“いわゆる「政党内閣」時代”というのが護憲三派内閣から犬養毅内閣までの「憲政の常道」期を指すことは,すぐに想像つくだろう。その時期の各内閣について崩壊の原因を,問題文を参考にしながら,整理しよう。

加藤高明内閣
 加藤首相が病死したから内閣が代わったのだが,まず知らないはず。ただ,次の内閣も同じ憲政会内閣が継続した。
第一次若槻内閣
 問題文では「緊急勅令案を枢密院で否決されて」崩壊したとある。つまり,枢密院との対立が内閣崩壊のきっかけとなっている。
田中内閣
 問題文では「満州某重大事件の処理をめぐって」退陣したとあるが,昭和天皇の不興(不信任)を招いたために内閣が崩壊した。もともと満州某重大事件の処理がうまくいかなかったのは陸軍の抵抗があったからだが,そのことを考慮すれば,陸軍の動向,天皇からの不信任が内閣崩壊のきっかけとなっている。
浜口内閣
 浜口首相が狙撃されて重傷を負ったからだが,次の内閣も同じ民政党内閣が継続。
第二次若槻内閣
 満州事変の勃発が背景。内閣の不拡大方針にもかかわらず関東軍が軍事行動を拡大したために幣原外相の協調外交,井上蔵相の緊縮財政の維持が難しくなり,さらに閣内では安達内相が協力内閣運動を展開して幣原外相・井上蔵相らと対立,閣内不一致に陥って内閣は崩壊した。つまり,陸軍の動向,閣内不一致が内閣崩壊の原因となっている。
犬養内閣
 五・一五事件で犬養首相が暗殺されたことが原因。ただし,犬養首相が暗殺されたからといって,そのことが同じ政友会内閣が継続しなかった原因とはならないし,また政党内閣が継続しなかった原因ともならない。

このように天皇からの不信任,枢密院・陸軍との対立,閣内不一致などが各内閣崩壊の原因として指摘できるが,それらが内閣崩壊の原因となった事情を明治憲法体制に即して説明しておくことが必要である。
内閣…天皇の輔弼機関
→(1)天皇からの信任が不可欠
 (2)天皇に直属し内閣から独立する国家機関(枢密院や陸海軍の統帥部)の支持・協力が不可欠
各国務大臣の単独輔弼制
→各大臣の任免権を天皇がもっていたこともあり,閣内不一致が内閣総辞職に直結しやすかった

次に注意しておきたいのは,さきに犬養内閣のところで指摘しておいたことだが,五・一五事件のあと政党内閣が継続しなかった事情である。
それまでは,首相が死去した場合は同じ政党を与党とする政党内閣が継続していたが(原敬首相の暗殺→高橋内閣と加藤高明首相の死去→若槻内閣というケース,浜口雄幸首相の重傷→第二次若槻内閣のケースもそれに準じていた),犬養首相の暗殺後には同じ政友会内閣が継続することはなかった。それはなぜなのか。同時に注意しておきたいのは,憲政会内閣→政友会内閣→民政党内閣→政友会内閣と与党が代わるときに一度も総選挙が実施されていないことである。内閣崩壊後は衆議院第2党を与党とする内閣が成立しているのだが,なぜこうしたことが可能だったのか。
それは,国会が首相を指名する昭和憲法とは違い,明治憲法のもとでは首相は元老(や重臣など)によって推挙・選任され,議院内閣制が制度的に保障されていなかったために,政党内閣が成立・継続するかどうかは議会(衆議院)の動向ではなく元老の政治的判断に左右されていたのである。

(B)
設問の要求は,金融恐慌が起こった原因。条件として,第l次世界大戦後における日本経済の動向を考慮することが求められている。つまり,金融恐慌の原因を“日本経済の動向”のなかで説明することが求められているのであり,“片岡直温蔵相の失言”という直接のきっかけについては触れる必要はない。

第1次世界大戦後の日本経済の動向
(1)戦後恐慌・震災恐慌で企業や銀行に打撃
(2)政府は特別融資により企業・銀行を救済
(3)不良債権の処理が遅れる→銀行に対する信用不安を招く

(C)
設問の要求は,「満州某重大事件」とよばれた事件の内容。
満州某重大事件は張作霖爆殺事件とも言われるが,張作霖とはどのような人物で,さらに誰が張作霖をどこで爆殺したのか,背景はなにか(あるいは目的はなにか)を明確化すればよい。


(解答例)
(A)
議院内閣制が制度化されていなかったため,元老による政党総裁の首相への推挙によって初めて成立した。このように成立が元老の判断に左右された上,主権者たる天皇の信任,天皇に直属する国家機関たる枢密院や陸海軍の協力がなければ内閣は存続しなかった。
(B)
戦後恐慌以来の不況のもと,震災恐慌で発生した震災手形の決済が進まず,多くの不良債権をもつ銀行への信用不安が拡大していた。
(別解)
戦後恐慌・震災恐慌に際して政府は救済融資を行ったが,慢性不況の下で不良債権の処理が遅れ,銀行への信用不安が広がっていた。
(C)
満州占領を試みた関東軍が北京から帰還する満州軍閥張作霖を奉天郊外で爆殺した。