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年度 1982年

設問番号 第1問

テーマ 弥生時代の集落遺跡/原始


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設問の要求は、資料文のなかで記された集落がたどった興亡の歴史。条件として、その自然環境から想像することが求められている。資料文の単純な内容把握問題である。こういう問題は、資料文からデータを慎重に読み取っていくことが必要。

まず資料文から、この集落がおかれていた自然環境・立地条件を確認しよう。
(1)集落のある平野は、××川の氾濫の結果として形成された
(2)集落は、河川ぞいの低湿地とほぼ同じ高さの場所か、それよりも少しは高い自然堤防の上にひろがっていたと推定される。

次に、資料文に記された集落の発掘のようすを確認しよう。
(3)発掘にあたっては、このあたり一面を覆っていた深さ1メートルほどの青い砂土を取り除いた。
(4)同じ地域内にいくつもの上下に重なった集落址がしばしば発見されるものだが、ここでは、この集落址のほかには何も発見できなかった。

(5)多くても20たらずの小判型平面住居群と、その中央にある2棟の隣り合わせの高床式倉庫とから成っていた。
(6)発掘された住居址からは、住居に大小の規模の差があったとは認められない。
(7)石包丁、石鏃、土器、丸木でつくった弓、鹿角でつくった釣針や装飾品、田下駄、田舟、竪杵などが発見された。鉄器は発見されていないが、木製の道具の表面には刃物(おそらく鉄器と想像できる)で削ったと思われる痕跡が残っている。

(8)2棟の倉庫の柱の穴のどれもこれもに、根元近くでポッキリ折れたと思われる杉の角材や槙の丸太材の残片が、突き差さったままで残っていた。さらに、これらの残片は、みな同じように、ある方角に少し傾いて突き差さっていた。

(1)(2)
→集落は河川ぞいの低湿地もしくは自然堤防のうえに形成された。
(5)(6)
→集落の規模は20戸程度、身分差は存在しなかった。
(7)
→水稲耕作や狩猟、漁労などで生計をまかなっていた。鉄器は工具としては使用されていたが、まだ農具・狩猟具としては使用されていなかった。
(3)(4)(8)
→集落は、河川の氾濫にともない深さ1メートルほどの砂土によって埋まってしまい、その後、同じ場所に再び集落が作られることはなかった。


(解答例)
この集落は河川ぞいの低湿地もしくは自然堤防のうえに形成された。鉄器で作った木製農具を利用し、低湿地に排水路をそなえた水田を営んでいたが、水稲耕作の生産性はそれほど高くなく、狩猟・漁労にも従事し、生計をまかなっていた。このため、集落の規模はさほど大きくなく、集落内部の階層分化も進んでいなかった。やがて集落は、河川の氾濫によって埋まってしまい、その後、同じ場所に再び集落が作られることはなかった。