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年度 1986年

設問番号 第4問

テーマ 条約改正達成の理由/近代


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設問の要求は,日本が条約改正(1894年の第一次条約改正)を達成できた理由。条件として,イギリス側の事情も考慮することが求められている。

条件として「イギリス側の事情も考慮する」ことが挙げられているからといって,イギリス側の事情だけで答案を構成しようとしてはダメだ。そもそも「イギリス側の事情“も”」であって「イギリス側の事情“を”」ではない。日本側の事情を説明することも忘れてはならない。

まず,井上案や大隈案が領事裁判権撤廃の条件として外人判事の任用を挙げられていたにもかかわらず,1894年の条約改正では無条件で領事裁判権が撤廃されていることに注意したい。
1880年代後半の条約改正交渉で“外人判事の任用”が求められたということがどういうことを意味するのかを考えてみよう。そのためには,領事裁判権がどういうもので,領事裁判権が撤廃されるとどうなるのか,を意識しておくことが必要である。領事裁判権は,日本人に対して犯罪を犯した外国人(たとえばイギリス人)が自国(たとえばイギリス)の裁判所で自国の法律により裁かれるというもので,日本の法律にもとづく日本の裁判所での裁判に服さないということである。ということは,領事裁判権は撤廃しても日本の裁判所への外人判事の任用が規定されるということは,日本の法律の内容は尊重しても,日本人によるその運用(裁判)は信用しないということである。
ところが,1894年の条約改正では領事裁判権は無条件に撤廃された。そのことは,欧米諸国が日本の法律の内容・運用ともに欧米なみのもの(欧米の基準にかなったもの)と評価する・信用するということ意味していた。1890年前後には,欧米にならう形で憲法を中心とする諸法典が整備されていったが,それに対する欧米諸国の評価の結果であった(さらに,1891年の大津事件をめぐる裁判で,裁判所が政府の政治的介入を排除して司法権の独立を示し,罪刑法定主義の原則を守る姿勢を示したことも,法の運用に対する信用を確保する上では大きな効果をもった)。
つまり,欧米なみの法治国家として確立したことが無条件での領事裁判権の撤廃を実現させた背景の1つであった。

次に1894年に条約改正(第一次)が達成されたことの背景を確認しよう。
(1)イギリスは青木周蔵外相時代(1890年ころ)から条約改正に応じる態度を示すようになっていたが,その背景は何か。これが条件で求められている「イギリス側の事情」である。
山川『詳説日本史【改訂版】では
「条約改正の最大の難関であったイギリスは,ロシアのシベリア鉄道起工による東アジア進出を警戒して日本に対して好意的になり,相互対等を原則とする条約改正に応じる態度を示した。」(p.264)
と説明されている。ロシアの東アジア進出が本格化することを警戒し,ロシアの南下に対する防壁としての役割を日本に期待するようになったことが,イギリスが条約改正に応じるようになった背景であった。
(2)なぜ1894年なのか。より詳しくは次のように表現できる。施行を1899年にまで先延ばしにしてまで1894年に日英通商航海条約を締結しようとした日本側の事情は何か。
日清開戦にあたってイギリスの好意的な立場を獲得(→欧米諸国の干渉を排除)しようとして,日本政府はイギリスに譲歩する形で条約改正(第一次)を達成させたのである。


(解答例)
日本は憲法を中心とする諸法典を整備して議会も開設し,欧米にならった法治国家の体制を整えていた。その上,最大の難関であったイギリスが,ロシアのシベリア鉄道起工による極東進出を警戒し,ロシアへの防壁としての役割を求めて日本に好意的になった。(118字)