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年度 1988年

設問番号 第1問

テーマ 律令制下の地方支配の特色(郡司の役割と意義)/古代


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設問の要求は、律令制のもとでの郡司は政治的・社会的にどのような存在であったか。条件として、(ア)〜(エ)の文章を参考にすることが求められている。

文章の内容。
(ア)郡司は事実上の世襲制。
(イ)郡司は貧民の保護・相互扶助という地域社会の共同体的関係を主導。
(ウ)郡司は国司に厳しく監督・統制をうけた。
(エ)郡司は地方行政の実務を担当した。

これらのうち、(ウ)と(エ)は郡司の政治的あり方、(イ)は郡司の社会的あり方を表現しているが、(イ)の内容を把握するのが難しい。内容の要約にこだわるよりは、既存の知識を生かす方がよい。

『詳説日本史 改訂版』(山川)には次のように記述されている。
「郡司はもとの国造など在地の豪族から任命され,国司に協力して地方の政治にあたった。」(p.44)
「注1 地方の豪族は中央の政府に対して従属的な地位にあったが,班田収授の実施や租税・労役の徴発など律令制の実施には,彼らの農民に対する実質的な支配力に負うところが大きかった。」(p.44)

このうち、「彼らの農民に対する実質的な支配力に負うところが大きかった」という部分が説明文(イ)に関連する内容である。

戸籍・計帳にもとづく個別人頭支配(公民ひとりひとりの把握)など律令制下の地方支配は、かつての国造クラスの地方豪族が有していた、地域の農民を共同体秩序へと組織づけ、彼らの農業経営を維持・保証する支配力(共同体的支配力)に依拠することによって初めて実現していたのである。そのため、地方豪族が任じられた郡司は終身官、事実上の世襲とされ、戸籍・計帳の作製や徴税など地方行政の実務を担当する一方で、都から派遣される国司のもとで厳しい監督・統制をうけたのである。なお、その国司も太政官から厳しく監督・統制をうけていた。


(解答例)
郡司は、農民に対する実質的な支配力をもつ旧国造など在地の豪族から世襲的に登用され、貧しい人々や飢えに苦しむ人々の保護など在地の相互扶助活動において指導的役割をはたした。中央から派遣される国司に対して従属的地位に置かれたものの、戸籍・計帳の作製や調庸を都に運ぶ人夫の監督、租や出挙の稲穀を納める正倉の管理など地方行政の実務にたずさわった。このように律令制的地方支配は、郡司による在地社会の把握に依拠して初めて機能した。
【添削例】

≪最初の答案≫
中央集権の律令体制のもとで郡司は地方支配を任され、その地域に詳しい旧国造などの在地の有力豪族が選ばれ、一般には世襲制であった。郡司はその地での戸籍作成・徴税・人夫監督・正倉管理などの実務を担当する一方、貧農の保護など郡内の秩序維持も努めた。また郡司は中央から派遣された国司の監督下で働いたが、地域の実情に精通しない国司よりも地域支配に実質的な役割を担った。

> 郡司は地方支配を任され、
の箇所と
> 郡司はその地での戸籍作成・徴税・人夫監督・正倉管理などの
> 実務を担当する
の箇所は,同じ内容についての説明ですよね?だったら一か所にまとめること。

ところで,在地の有力豪族はなぜ郡内の秩序維持を“実質的に”担えたのか?
その根拠についての説明としては,「その地域に詳しい」や「地域の実情に精通」では不十分。
そもそも“知識”だけで地方支配が可能なのだろうか?在地の有力豪族と民衆との間に“紐帯”はなかったのか?そもそも国造たちは何を通じて支配下の民衆を共同体秩序のもとに組織していたんでしょうね?そのことを考えれば,“実質的な支配力”が何を根拠とするものであったのかがわかるはずです。

≪書き直し≫
律令体制下の郡司には、在地の農民に対して以前から大きな支配力を持っていた旧国造などの在地の豪族が任命され、主に世襲で、貧農の保護など秩序維持を行って在地において指導的役割を果たした。その一方で、郡司は中央から派遣される国司の監督下に置かれ、戸籍・計帳の作成や人夫の監督、正倉の管理、裁判などの実務を担当した。このように郡司は、中央集権国家の地方支配において不可欠な存在であった。

基本的にはOKですが,
郡司が中央集権国家の地方支配において不可欠な存在であったことを答案の軸とするのなら,
> その一方で、郡司は中央から派遣される国司の監督下に置かれ、
> 戸籍・計帳の作成や人夫の監督、正倉の管理、裁判などの実務を
> 担当した。
の部分は,「その一方で」という接続表現をカットしたうえで,

 郡司は中央から派遣される国司の監督下に置かれたものの,戸籍  ・計帳の作成や人夫の監督,正倉の管理,裁判などの実務を担当
 した。

くらいに表現しておく方が適当です。