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年度 1989年

設問番号 第3問

テーマ 農書の普及と近世農村社会の変貌/近世


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設問の要求は、農書の流布・普及という現象から、江戸時代の農村社会でどのようなことが起きていたと考えられるか。

農書が農業技術の普及を目的として出版されたことを考えれば、農書が広く流布・普及した背景に、新しい農業技術を摂取しようとする百姓の積極的な姿勢が存在したことがわかるだろう。つまり、“百姓が新しい農業技術を摂取しようとした背景”を考えていけばよいのである。その際、(1)百姓がどのような状態にあったか(経営のあり方・特徴)、(2)農書には“どのような農業の技術・知識”が紹介されているのか、の2点に注意しよう。

(1)百姓がどのような状態にあったか(経営のあり方・特徴)。
問題文には17世紀末の宮崎安貞『農業全書』と、19世紀前半の大蔵永常『農具便利論』『広益国産考』があげられているのだから、17世紀末(元禄期)と19世紀前半(化政〜天保期)に分け、百姓の経営のあり方とその変化を考えていこう。

●17世紀末(元禄期)
江戸時代(とりわけ前期)の農業経営は、“せまい耕地”と“小規模な家族の労働”を基礎とする小農経営を特徴とするが、17世紀後半、幕府・大名による小農維持策−−稲作を第一とし商業的農業を抑制して没落を防止−−を背景として確立・安定した(1987年第3問も参照のこと)。その時期は耕地の拡大がほぼ限界に達した時期でもあり、稲作中心の農業経営を安定させるため、せまい耕地と小規模な家族の労働を効率的に活用することによって単位面積あたりの収穫高を増加させるかたちで、農業生産力の向上がはかられていく。具体的には、二毛作の拡大、肥料の多用、農具の改良による農作業の省力化・集約化である。
他方、17世紀後半に全国的流通網が整備されて商品流通が発達すると、都市での消費需要の拡大に対応して桑・麻・綿・菜種・楮・櫨などを商品作物として栽培する動きも進む。
元禄期は、このような農業生産の発展が先進地域を中心にめざましく進んでいた時期であり、それにともなって農民が商品経済にまきこまれ、農村では階層分化が進んで本百姓を中心とする村の共同体秩序が動揺しはじめた時期でもあった。

●19世紀前半(化政〜天保期)
享保期以降に幕府・諸藩が稲作第一の農政を転換し、商品作物の栽培を奨励するなど殖産興業政策を進めたこともあって−農民政策も小農維持策から地主・豪農の存在する現実を認めた農政へと転換−、18世紀以降、農村では商品作物の栽培を中心とする商業的農業がいちじるしく発展する。さらに、商品作物を農村内部で集荷・加工する動きも進む。手工業はもともと都市を中心に存在していたが、農村の副業としても広く行われるようになったのである。こうして都市向けの商品生産が拡大するにつれて、それぞれの地域の特性に応じた特産物が各地に生まれていく(全国的流通網の発達を背景とした社会的分業の進展)。
これが17世紀末から19世紀前半の間に生じた変化であり、19世紀前半には文政金銀の鋳造で通貨流通量が増加したこともあいまって商品経済はさらに大きく発展していた。

(2)農書には“どのような農業の技術・知識”が紹介されているのか。
問題文では、宮崎安貞の『農業全書』について「中国の農書の影響を受けながらも、実際の観察と経験にもとづく農業の知識を集大成したものと評価されている」との説明がなされているだけで、大蔵永常の『農具便利論』『広益国産考』については説明がない。しかし、『広益国産考』が商品作物の栽培法やその加工製造法について書かれた農書であることは知っているはずだから、両者の違いは判断できるだろう。
簡潔に言えば、宮崎安貞の『農業全書』が「農業の知識を集大成」したものであるのに対し、大蔵永常の『農具便利論』『広益国産考』は農具や商品作物といった個別の技術を専門的に扱ったものである。
より具体的に説明すると、次のようになる。
『農業全書』は新しい農業知識や栽培技術を集大成したもので、小農経営に適応した集約農業の進め方を網羅的に紹介していたが、それをもとにしながら、加賀の『耕稼春秋』など、各地の農業の実情に応じた農書も多数刊行されるようになる。そうして先進地域の農業知識・技術が各地に普及するなか、先に確認したような都市向けの商品生産−商品作物の栽培(商業的農業)や農村加工業−が展開する。それに対応して、商品経済の進展に対応した農業経営のあり方、より効率よく収益を高めることのできる農業知識・技術が、個別的かつ専門的に要求されるようになっていく。大蔵永常の『農具便利論』や『広益国産考』は、そうした要求に応えるかたちで刊行され、広く流布していったのである。

なお、『日本史論述トレーニング』(Z会)の解答例は、「土地を集積し商業も行う少数の富農と多数の没落貧農が生じ、階層分化が進んだ.こうして本百姓体制が解体した」(p.130)との表現で答案を〆ている。確かに、農業生産の発展にともなって農民が商品経済にまき込まれ、階層分化が進んでいた。しかし“農書の流布・普及”という現象からだけでは、農民の階層分化はわからない。答案は、あくまでも“稲作第一から商品経済の進展に対応しうる商業的な農業経営への転換”を軸として作成したい。


(解答例)
17世紀後半には小農経営が広範に成立し、耕地拡大もほぼ限界に達したため、農具の改良など労働の集約化が進展して農業生産力が向上する一方、全国的な商品流通の発達や都市での需要拡大を背景として商品作物の栽培がさかんになった。その結果、18世紀以降、稲作第一から商品経済の進展に対応した農業経営への転換が進んだ。