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年度 1993年

設問番号 第1問

テーマ 奈良・平安初期の仏教/古代


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設問の要求は,日本に渡来した朝鮮・中国の僧侶や大陸に渡った日本の僧侶が,7世紀から9世紀にかけて,仏教の伝播と発展にどのような役割を果たしたか。
条件として,(a)(1)〜(5)の文章を参考にすること,(b)いくつかの段階に整理することが求められている。

(1)〜(5)の文章をいくつかの段階に整理したうえで(推古朝・奈良時代・平安初期の3段階に整理できる),答案全体の論旨をどのように組み立てるか−これがポイントになる。

“氏族仏教→国家仏教→貴族仏教”という推移を軸に論旨を組み立ててもよいが(その枠組みは,密教が貴族仏教−皇族・貴族の現世利益にこたえる−であるだけではなく国家仏教−鎮護国家の役割をになう−でもある点を看過しているところが難点なのだが),その際,(1)や(2)で仏教理論・経典の研究に関するデータが示されている点に対する配慮を忘れないでほしい。

推古朝 :氏族仏教(氏族繁栄のため・権威誇示の手段)
     (1)一部で仏教理論の受容(経典研究)
奈良時代:国家仏教=鎮護国家思想にもとづく→国家の積極的な保護・統制
     (2)経典の招来→経典研究の活発化
     (3)仏教に関する制度・儀礼(戒壇)を整備
平安初期:
     (4)天台宗・密教(新たな国家仏教)の伝来
       →政府から独立した教団の形成
     (5)浄土信仰の伝来…信仰の対象としての(個人救済の)仏教の導入


(解答例)
仏教は,推古朝には氏族繁栄のための呪術として普及したが,渡来僧を通して理論の受容も進んだ。律令形成期以降,鎮護国家の立場から朝廷の保護と統制をうけ,そのもとで留学僧が多くの経典を伝え,教理研究を中心とする南都六宗が成立すると共に,唐僧により戒律がもたらされ戒壇も整った。平安初期には留学僧によって密教や浄土信仰が導入され,山林修行を基礎に自主的な宗教教団が成立する一方,現世利益や来世での往生を願う貴族に広く普及した。
【添削例】

≪最初の答案≫

飛鳥時代には主に、渡来僧が中央豪族に仏教を伝えた。その後、留学僧の派遣が始まり、奈良時代になると鎮護国家思想の影響から政界においても留学僧の知識が重用され、国分寺建立や大仏造立などの仏教政策が多くとられ、行基や鑑真は民間布教も行った。しかし、政治との結びつきが問題となり、仏教は9世紀には国の保護を受けることは無くなったが、一方で修行によって結束を維持する密教が登場し、現世利益を追求する貴族に受容された。

設問では,渡来僧や留学僧が「仏教の伝播と発展」にどのような役割を果たしたと考えられるか,とある。確かに“僧侶の果たした役割”が問われているのだが,前提として“7〜9世紀の「仏教の伝播と発展」”を把握し,それを軸にしながら答案を作成することが必要。ところが君の答案は,その「仏教の伝播と発展」についての把握・説明が不十分です。

推古朝〜平安初期の仏教について教科書記述を以下に抜粋しておくので,それらを参考にして“7〜9世紀の「仏教の伝播と発展」”を確認してほしい。

●推古朝

「このころの仏教は氏族の祖先崇拝が中心の現世利益のための宗教であった。そのなかで,聖徳太子は「世間は虚仮し,唯仏のみ是真そぞ」という深い仏教理解に達し,経典の注釈書として『三経義疏』が残されている。」(三省堂『詳解日本史B』)

「この時代,仏教は呪術的なものと考えられ,その思想はまだじゅうぶんに理解されていなかった。聖徳太子は仏教の思想を学び,法華.維摩.勝鬘の3経典の注釈書をあらわしたと伝えられる(三経義疏)。」(実教『日本史B』)

「仏教は一般には,呪術の一種として信仰され,人びとは祖先の冥福を祈ったり,病気の回復を願って仏像をつくることが多かった。(中略)この時代には,仏教の学問的な研究もはじまり,聖徳太子があらわしたといわれる,法華経・維摩経・勝鬘経の三つの経典の注釈書である三経義疏が伝えられている。」(山川『詳説日本史B』)

●奈良時代
「鎮護国家の立場から国家の絶大な保護をうけた仏教は,大きく発展した。(中略)六宗の教学を中心に,仏教理論の本格的研究も行われるようになった。さらに僧尼の資格の整備をはかるため,唐から僧鑑真を招き,戒律を授ける戒壇を東大寺など3寺に設けた。」(三省堂『詳解日本史B』)

「奈良時代には,仏教は国家の保護をうけていっそう発展した。当時の僧侶は,鎮護国家のための法会や祈祷を行うとともに,インドや中国でうまれたさまざまな仏教理論の研究を進め,それにともない奈良の諸大寺には,南都六宗とよばれる諸学派が形成された。遣唐使にともなわれて中国にわたった多数の学問僧や,苦難をおかして渡来し,戒律を伝えた唐僧鑑真らの活動も,日本の仏教の発展に大きな力となった。」(山川『詳説日本史B』)

●平安初期
「9世紀のはじめごろ,最澄(伝教大師)・空海(弘法大師)が唐から帰国して,仏教界に新風を吹きこんだ。(中略)天台・真言両宗は奈良仏教とは異なり,山林修行を基礎に自主的な宗教教団を確立したうえで鎮護国家を唱え,貴族と民衆にはたらきかけた。」(実教『日本史B』)

「奈良時代の末には仏教が政治と結びついて腐敗したため,桓武天皇は僧侶の資格をきびしくするなどしてそれを改めようとした。これに応じて仏教界にも革新の動きがおこり,(中略)天台・真言の両宗は,元来,山中にあってきびしい修行をつみ,国家の安泰を祈るものであったが,加持祈祷によって現世利益をはかる仏教として皇族や貴族のあいだでもてはやされ,仏教界の主流になった。」(山川『詳説日本史B』)

> その後、留学僧の派遣が始まり、

飛鳥時代(推古朝)にも遣隋使に随行して僧旻など留学僧が派遣されている(もちろん帰国するのは舒明朝だが)。

> 行基や鑑真は民間布教も行った。

鑑真は民間布教を行っていない。

> 仏教は9世紀には国の保護を受けることは無くなった

最澄(→延暦寺)や空海(→金剛峯寺や東寺)は朝廷から保護を受けている−空海が嵯峨天皇から東寺を賜わったという事実を想起して欲しい−。寺院に対する朝廷の公的な保護がなくなり,自力で経済基盤を確保する必要が生じたのは10世紀以降のこと。

> 修行によって結束を維持する密教が登場し

「修業によって結束を維持する」という表現は密教の説明としては不適切。もちろん,その表現で天台・真言宗が朝廷から半ば自立した形での宗教教団を形成したことを説明しようとしたのだと思うが,それならば,まず奈良仏教が学問研究のための学派であったことを明記したうえで,天台・真言宗が宗教教団を形成したと明言するのが適当(先に抜粋した実教『日本史B』の記述を参照のこと)。

≪書き直し≫

仏教は、飛鳥時代には一般に呪術的なものとみなされたが、一部では渡来層を通じた研究も進んだ。奈良時代になると鎮護国家思想の影響で国から保護されるようになり、教理研究を行う南都六宗も形成された。鑑真は戒律を伝え、戒壇も整った。平安初期には、留学僧の最澄・空海によって奈良仏教とは異なった修行中心の仏教がもたらされた。それらは独立した宗派を形成し、加持祈祷によって現世利益をはかる仏教として皇族や貴族に受容された。

基本的にはOKですが、
資料文(5)が浄土信仰の伝来についても言及していることを答案に活用したい。
その意味で、
> 加持祈祷によって現世利益をはかる仏教として皇族や貴族に受容さ
> れた。

の部分は

 現世利益と来世での往生を保障する仏教として皇族や貴族に受容された。

などと表現しておきたい。