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年度 1996年

設問番号 第3問

テーマ 御蔭参り発生の背景/近世


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設問の要求は,熱狂的な御蔭参りが発生した理由。条件として,参加した人々の(a)階層や(b)行動様式の特徴にふれることが求められている。

まず条件から考えよう。
(a)参加した人々の階層
問題文には
「下女も台所や井戸端での仕事をそのままにして着のみ着のまま飛び出る者もいる。」
「主人や親・夫また家主などに無断で家を出て参詣に行くことを禁じたが,人々の熱狂をしずめることはできなかった。」
と説明してある。
ここから,参加した人々の具体例として徒弟・丁稚・下女のような奉公人,子供・妻,借家人があげられるが,こうした人々の共通点は何だろう?
その際,近世身分制社会に関する次のような「枠組み」を想起しよう。

民衆支配(身分制社会)の基本単位…村・町といった社会集団
→家により構成<人びとは家に所属→家を通じて村・町に所属>
●家内部に厳しい上下関係
 主人と住み込みの奉公人(商家の場合は丁稚,職人の場合は徒弟)
 家長・長男とそれ以外の家族(次三男や女性)
●家どうしの間には家格(厳しい階層秩序)
 村政や町政への参加:高持百姓・家持町人←→水呑百姓・借家人

この「枠組み」をもとに考えれば,御蔭参りに参加した人々は,身分社会の階層秩序のなかで下位に置かれた人々であることがわかる。

(b)参加した人々の行動様式の特徴
問題文からデータを引き出そう。
「着のみ着のまま飛び出る者もいる。」
「主人や親・夫また家主などに無断で家を出て参詣に行く」
ここから,(1)金銭を持たず,(2)許可なく旅に出た(要するに抜け参り),という行動様式が抽出できる。
(1)から,金銭を持たずとも伊勢神宮まで旅することが可能な環境・システムが整っていたことがわかる。とはいえ,これに関する知識は教科書レベルを越えている(御師の活動により伊勢信仰が各地に浸透し,伊勢参宮のためのシステムも整備されていた)。
(2)は,上記の「枠組み」のような社会的な規範から逸脱する行動様式。こちらを軸に答案を作成するとよい。

ここで考えるべきことがらは,身分制社会の規範・厳しい階層秩序の束縛から逸脱しようとする衝動が広範に発生するにいたった背景である。
問題となっている1830年ころといえば,文政金銀の鋳造で通貨流通量が増加したこともあいまって商品経済が大きく発展していた時期であり,それにともなって農村では農民の階層分化が進んで本百姓を中心とする村の共同体秩序が動揺,都市では出稼ぎ農民や無宿などの流入により貧民が増加して家持町人を中心とする町の共同体秩序が動揺していた。つまり,上記のような身分制社会の「枠組み」が大きく動揺していたのである。
これを背景として,御札が降ったという噂を契機に日常生活のなかでのうっぷんを爆発させる形で御蔭参りが各地に広がっていった。

なお,藤田覚『幕末の天皇』(講談社メチエ選書)のなかに次のような記述がある。
「都市構造が変化し,家持=地主層の減少による町共同体の変質は,その精神的紐帯としての氏神信仰を衰退させ,農村でも農民層分解による村落構造の変化は,村共同体を動揺させ,その精神的紐帯としての氏神,産土神信仰を動揺させ,流行神(はやりがみ)の盛行に示される宗教的混沌が起こり,それに対し,いわば民心の宗教的,精神的統合をはかる必要性も感じられるようになった。」(p.41)
この議論は,伊勢信仰が浸透していった背景に関する説明としても有効だ。


(解答例)
幕藩体制下では人びとは家を単位として身分集団ごとに組織され,そのもとで分際にかなった行動を求められていた。御蔭参りは,そうした束縛から逸脱しようとする庶民の衝動が伊勢信仰を背景に爆発したものであり,奉公人や女性,借家人などが主人や親・夫,家主の許可なく,金銭も持たずに集団的熱狂のもとで参加していた。
【添削例】

≪最初の答案≫

19世紀には,幕藩体制の崩壊とともに,庶民の間には享楽的・退廃的な思想や文化が浸透していた。また,中世以来の伊勢信仰が庶民の間には普及しており,このような中での御札が降ったという噂は老若男女・身分にかかわらず,庶民の伊勢参詣の気持ちを高揚させ,幕府の統制を無視するほどの熱狂的な御蔭参りを起こした。

設問では“参加した人々の階層や行動様式の特徴”に触れることが条件として求められています。ところが,“行動様式の特徴”については「幕府の統制を無視するほどの」の部分で表現されていると見ることはできますが,“参加した人々の階層”については全く触れられていない。「老若男女・身分にかかわらず」と書いてあるが,これだと“階層”については特に特徴はなかったと言っているようなものです。ところが,問題文のなかで触れられている幕府の禁制には“主人や親・夫また家主などに無断で家を出て参詣に行くことを禁じた”とあり,ここに御蔭参りに参加した人々の“階層”を考える上でのヒントが示されています。つまり,君はこのヒントが読み取れなかったということを意味しています。きちんと条件にも応える必要があります。

ただ,“参加した人々の階層”を先にあげた問題文のなかの表現をヒントに考えていくには,おそらく知識が不足しているものと思われます。次に掲げる教科書の文章をよく吟味してみてください。

山川『詳説日本史』p.174

 これらの諸身分は,武士の主従制,百姓の村,町人の町,職人の仲間など,団体や集団ごとに組織された。そして一人一人の個人は家に所属し,家や集 団を通じてそれぞれの身分に位置づけられた。武士や有力な百姓・町人の家 では,家長(戸主)の権限が強く,家の財産や家業は長男をとおして子孫に 相続され,その他の家族は軽んじられ,女性の地位は低いものとされた。
(なお,p.173には「商家の奉公人」という表現もみられる)
三省堂『詳解日本史』p.163〜164
 幕府や藩は,身分秩序を維持するために,上下の関係(分際)をわきまえることを家臣らに徹底させた。家と家との間には家格があり,一族内では本家が分家や別家よりも格が高く,家族のなかでは家長が家族に対して絶大な権限をもった。
 こうした風潮は,経済力が増して家柄や財産などを重んじるようになった町人や農民におよんでいった。さらに家の財産と職業を長男が相続する長子単独相続が一般的になると,身分を固定したものとみなす考えが強まった。
それから,答案の最初の部分
> 19世紀には,幕藩体制の崩壊とともに,庶民の間には享楽的・退廃
> 的な思想や文化が浸透していた。
なんですが,ここは御蔭参りとどのように関連しているのでしょうか?答案を読む限り,関連が分かりません。「享楽的・退廃的な思想や文化の浸透」の一例が「伊勢信仰の普及」であるというわけではないですよね?
それから,化政文化の特徴を「享楽的・退廃的」と把握することはできません。かつて教科書でもそのように表現してあったことがありますが,今ではそういう風には評価されていません。

≪書き直し≫

中世からの伊勢信仰を背景に,御札が降ったという噂は,当時の民衆の日常生活に対する不満を爆発させる形で御蔭参りとなって各地に広がった。老若男女問わず歌い踊りながら伊勢神宮に参詣したが,特に身分の低い女性・奉公人たちが幕府の禁止を無視し,夫や主人に無断で大量に御蔭参りに参加した。

随分とよくなりました。ほぼ OK です。

ただ,問題なのは
> 当時の民衆の日常生活に対する不満
という部分です。一体,ここでいう「日常生活」とはどのような特色をもっていたのか,そして何が民衆にとって「不満」だったのか。それが読み取れません。

前のメールで山川『詳説日本史』の記述を紹介しましたが,その中に

 一人一人の個人は家に所属し,家や集団を通じてそれぞれの身分に位置づけられた。 
とあります。つまり,江戸時代は身分制社会だと言われるけれども,個人個人が“身分なるもの”のなかに直接所属していたわけではなく,まず“家”に所属し,さらにその“家”が身分集団(たとえば村や町など)に所属し,そのことによって身分(いわゆる士農工商)のなかに位置づけられていたのです。

そして,“家”のなかには厳しい上下の関係が存在し(家どうしの間にも存在した),家長(戸主)の権限が強く,後継者たる長男以外の男子や女子の地位は低く,さらに有力な百姓の家には名子や被官などの隷属民が所属していたし,商人の家(商家)には奉公人が所属しています。そして人びとは,上下の関係をわきまえ,それぞれの地位(分際・分限)にかなった思想と行動を求められていました。江戸時代の身分制社会というのは,そういう形で存在していたのです(江戸後期にもなるとこうした身分制社会も動揺を迎えていますが,だからこそ逆にその枠組みを固持しようとする動きもでてくる)。

こうした当時の身分制社会のあり方=「当時の民衆の日常生活」を答案の最初の部分で説明しておけば,後のところの
> 特に身分の低い女性・奉公人たち
のうち「身分の低い」の部分が活きてくるわけです。

≪書き直し2回め≫

中世からの伊勢信仰を背景に,御札が降ったという噂は,当時の民衆の幕府の統制に対する不満を爆発させる形で御蔭参りとなって各地に広がった。老若男女問わず歌い踊りながら伊勢神宮に参詣したが,特に身分の低い女性・奉公人たちが幕府の禁止を無視し,夫や主人に無断で大量に御蔭参りに参加した。

二回目の答案の「当時の民衆の日常生活に対する不満」を「当時の民衆の幕府の統制に対する不満」に変更していますが,あえて言えば,二回目の答案の方が適切です。

なにしろ,村や町,仲間といった社会集団は幕藩体制のもとでの支配の基本単位であり,幕府や大名はその集団に対して規制を加えるものの,基本的には集団内部の自治を保障しています。ですから,そうした集団内部での身分秩序,そしてその集団の構成単位としての「家」内部の身分秩序は,いわば社会的に形成,維持されてきたものです。以前のメールで紹介した三省堂の『詳解日本史』でも,幕府や大名が家臣に対して分際をわきまえることを徹底させていたことは書かれていても,町人や百姓については「こうした風潮が及んでいった」としか書かれていません。ですから,庶民が直面していた身分制とは基本的に社会的に形成,維持されていたもので,それは「幕府の統制」というよりも「日常生活」と表現する方が適切なものです。ただ,「日常生活」とだけ記述するのであれば「身分」につながってきにくいという点が難点なのです。
じゃぁ,どう変更すればよいかですが,
 厳しい身分制下の日常生活に対する民衆の不満
くらいの表現でもOKです。