年度 2009年

設問番号 第1問


次の(1)〜(4)の文章を読んで,下記の設問に答えなさい。

(1) 607年に小野妹子が遣隋使として「日出づる処の天子」にはじまる国書を提出したが,煬帝は無礼として悦ばなかった。翌年再び隋に向かう妹子に託された国書は「東の天皇,敬みて西の皇帝に白す」に改められた。推古朝に天皇号が考え出されたとする説も有力である。
(2) 659年に派遣された遣唐使は,唐の政府に「来年に海東の政(軍事行動のこと)がある」と言われ,1年以上帰国が許されなかった。669年に派遣された遣唐使は,唐の記録には高句麗平定を賀するものだったと記されている。
(3) 30年の空白をおいて派遣された702年の遣唐使は,それまでの「倭」に代えて「日本」という新たな国号を唐に認めてもらうことが使命の一つだったらしい。8世紀には遣唐使は20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。
(4) 717年の遣唐使で唐に渡った吉備真備と玄●[ぼう]は,それぞれ中国滞在中に儒教や音楽などに関する膨大な書籍や当時最新の仏教教典を収集し,次の733年の遣唐使と共に帰国し,日本にもたらした。

設問
7・8世紀の遣隋使・遣唐使は,東アジア情勢の変化に対応してその性格も変わった。その果たした役割や意義を,時期区分しながら,6行以内で説明しなさい。


解法のヒント