年度 2016年

設問番号 第1問


次の⑴~⑸の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えなさい。

⑴ 『日本書紀』には,東国に派遣された「国司」が,646年に国造など現地の豪族を伴って都へ帰ったことを記す。評の役人となる候補者を連れて帰り,政府の審査を経て任命されたと考えられる。
⑵ 律令の規定によれば,郡司は任期の定めのない終身の官職であり,官位相当制の対象ではなかったが,支給される職分田(職田)の額は国司に比べて多かった。
⑶ 国府の中心にある国庁では,元日に,国司・郡司が誰もいない正殿に向かって拝礼したのち,国司長官が次官以下と郡司から祝賀をうけた。郡司は,国司と道で会ったときは,位階の上下にかかわらず馬を下りる礼をとった。
⑷ 郡家には,田租や出挙稲を蓄える正倉がおかれた。そのなかに郡司が管轄する郡稲もあったが,ほかのいくつかの稲穀とともに,734年に統合され,国司の単独財源である正税が成立した。
⑸ 郡司には,中央で式部省が候補者を試問した上で任命したが,812年に国司が推薦する候補者をそのまま任ずることとなり,新興の豪族が多く任命されるようになった。

設問
A 郡司は,律令制のなかで特異な性格をもつ官職といわれる。その歴史的背景について2行以内で説明しなさい。
B 国司と郡司とは,8世紀初頭にはどのような関係であったか。また,それは9世紀にかけてどのように変化したか。4行以内で述べなさい。


解法のヒント