年度 2022年

設問番号 第2問


次の⑴~⑷の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えよ。

⑴ 後嵯峨天皇の死後,皇統が分かれて両統迭立がおこなわれると,皇位経験者が増加し,1301年から1304年にかけては上皇が5人も存在した。上皇達の生活は,持明院統では長講堂領,大覚寺統では八条院領という荘園群に支えられていた。
⑵ 室町幕府が出した半済令には,諸国の守護や武士による荘園公領への侵略がすすむなか,荘園領主の権益を半分は保全するという目的もあった。さらに1368年には,天皇や院,摂関家などの所領については全面的に半済を禁止した。
⑶ 内裏の造営や即位にともなう大嘗祭などの経費は,平安時代後期から各国内の荘園公領に一律に賦課する一国平均役によってまかなわれており,室町時代には幕府が段銭や棟別銭として守護に徴収させた。
⑷ 1464年,後花園天皇は譲位して院政を始めるにあたり,上皇のための所領を設定するよう足利義政に求めた。位を譲られた後土御門天皇は,二年後に幕府の経費負担で大嘗祭を行ったが,これが室町時代最後の大嘗祭になった。
⑸ 1573年,織田信長から譲位を取りはからうとの意思を示された正親町天皇は,後土御門天皇から3代のあいだ望みながらも果たせなかった譲位を実現できることは朝廷の復興につながるとして大いに喜んだ。

設問
⑸に述べる3代の天皇が譲位を果たせなかったのはなぜか。鎌倉時代以来の朝廷の経済基盤をめぐる状況の変化と,それに関する室町幕府の対応にふれながら,5行以内で述べよ。


解法のヒント