年度 2025年

設問番号 第3問


次の⑴~⑷の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えよ。解答は,解答用紙(ハ)の欄に,設問ごとに改行し,設問の記号を付して記入せよ。

⑴ 徳川家康は,1600年9月の関ヶ原の戦いに勝利して豊臣秀吉政権の後継者としての地位を固めた。

⑵ 家康は1601年1月に東海道に伝馬の制度を定め,次いで2月に近江大津城・伊勢桑名城・三河岡崎城・遠江浜松城・遠江掛川城・駿河府中城(駿府城)・駿河沼津城に譜代大名を配置した。

⑶ 関ヶ原の戦いの後,家康は京都・伏見と江戸を行き来して政務をとった。大名は家康への忠誠心を示すために,必要に応じて京都・伏見や江戸に参勤した。家康から命じられ,ただちにわずかな供を連れて参勤することもあった。

⑷ 1615年の大坂夏の陣の後に発布された武家諸法度では,参勤に関する規定が初めて明文化され,1635年の武家諸法度では,隔年で4月に江戸に参府する参勤交代が定められた。多くの大名は儀礼的な体面を重んじ,家格に応じた行列を準備して参勤した。

設問
A 関ヶ原の戦いの後の東海道の整備にはどのような特徴があったか。徳川家康の意図に留意して,3行以内で述べよ。

B ⑶⑷から,大名の参勤に対する意識はどのように変化したと考えられるか。その背景に留意して,2行以内で述べよ。


解法のヒント