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筑波大学 個別学力検査等試験問題【前期日程】(日本史B)

年度 2006年度(平成18年度)  設問番号 第3問

テーマ 禁中並公家諸法度/近世


次の史料は,江戸幕府が発布した法度の一つである。この法度が発布された背景について,名称と起草者に触れながら,また,発布の年月を参考としつつ論述せよ。400字以内で解答せよ。

(第一条)
一,天子諸芸能の事,第一御学問也。(中略)御習学専要候の事。
(第四条)
一,摂家為りと雖も,其の器用無きは,三公摂関に任ぜらるべからず。況んや其の外をや。
(第七条)
一,武家の官位は,公家当官の外為るべき事。
(第八条)
一,改元は,漢朝の年号の内,吉例を以て相定むべし。(下略)
(第十六条)
一,紫衣の寺,住持職,先規希有の事也。近年猥りに勅許の事,且は臈次を乱し,且は官寺を汚し,甚だ然るべからず。向後においては,其の器用を撰び,(中略)申し沙汰有るべき事。
右,此の旨を相守らるべき者也。
  慶長廿年乙卯七月日
(「御当家令条」・原文は和様漢文・表記を一部改めた。)

注  況んや:なおさら・まして    臈次:出家後の年数    慶長廿年:慶長20年(1615)


【解答例】
豊臣政権で五大老の筆頭の地位にあった徳川家康は,関ケ原の戦いでの勝利により政治権力を掌握したものの,秀吉の子豊臣秀頼がいぜん大坂城にいて権威を保っていた。そのため,天皇から征夷大将軍の宣下をえて全大名の指揮・統率権を正統化したうえで,諸大名に江戸城やその城下町造成の普請を命じるなど,くりかえし軍役を賦課することを通じ,諸大名との主従関係の形成につとめた。このように徳川家康は天皇の権威を巧みに活用しながら全国支配を整えていったため,かえって天皇の果たす政治的な役割を高めることとなった。そこで豊臣秀頼を大坂の陣で滅ぼすと,天皇や公家の行動を規制するため,禁中並公家諸法度を発布した。京都所司代による監視のもと,摂家に朝廷統制の主導権をゆだね,天皇がみずから政治権力をふるったり,大名や寺院と個別的に結びついたりすることを排除するとともに,官位や改元など朝廷の機能を幕府の全国支配に役立てようとした。(400字)