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筑波大学 個別学力検査等試験問題【前期日程】(日本史B)

年度 2009年度(平成21年度)  設問番号 第3問

テーマ 末期養子の禁の緩和


 次の史料は,寛永12年(1635)に出された旗本・御家人の守るべき基本法令である「諸士法度」全23か条のうち第18条で,大名にも適用された。この史料の内容について説明したうえで,これが17世紀後半以降緩和されたことの理由を幕府政治の変化の面から400字以内で論述せよ。

一,跡目の儀,養子は存生の内言上致すべし。末期に及び忘却の刻申すといふども,之を用ふべからず。勿論筋目無き者許容すべからず。たとひ実子為りと雖も,筋目違たる遺言立てまじき事。
(御当家令条 『近世法制史料叢書』第二 表記を一部改めた。)
(注)刻:折,時,場合,時節という意味。


【解答例】
史料は末期養子の禁を定めたもので,跡継ぎのいない大名や旗本・御家人が,死ぬ間際に跡継ぎをたてることを禁じたものである。もともと主従関係は個人間の信頼関係に基づくもので,代替わりに際して自動的に継続されるものではなく,跡継ぎは事前に主君との謁見を済ませておくことが必要とされていたが,末期養子はその条件に適うものではなかった。さらに,跡継ぎを事前に定めておくことは相続争いにより家臣団が分裂することを回避する効果をもっており,御家騒動を防止するという意図もあった。ところが,17世紀前半に進められた武断政治により多くの大名が改易処分をうけたため牢人が多数発生し,17世紀半ば,牢人の不満から軍学者由井正雪を中心とする幕府転覆計画である慶安の変がおこった。そこで幕府は文治政治への転換を図り,牢人の増加を防ぐために大名家の断絶を抑制しようと,末期養子の禁を緩和し,50歳未満に限って末期養子を認めた。